今回も引き続き「精神障害者が語る恋愛・結婚・性について」のお話しをしてみたいと思います。
あくまで男性視点での記述となりますが、少しでもみなさまのお役に立てれば幸いです。
わたしも精神障害の当事者同士の恋愛結婚です。
ただ、妻には一昨年先立たれました。投身自殺でした。このことをわたし自身乗り越えられた訳でもなく、今も鬱々と沈み込むこともあります。(そんな簡単に消化できる方もおかしいとも思っています)
仕事は介護職で、介護福祉士も取得していたのですが、腰椎のヘルニアで再起不能となり、今は職探しと通信制大学への出願準備をしています。
さて、前回はセックスについて、ややきつめな注意喚起を含めた記事を書きました。
今回この記事では『恋愛』、しかも『精神障害の当事者間での恋愛』に的を絞ってお話してみたいと思います。
どうぞお付き合いお願いします。
前の記事もご参考いただければ幸いです。
▼前回▼
お好きなところからお読みください
恋愛とは
『恋愛とは』だなんてい何をいまさら、という感じですが、ここでは恋愛とは、からのスタートです。
時代を遡ると昔はお見合い結婚でしたね。
家と家がつながるだけ、一度顔合わせをしただけで決まってしまう、親の発言力が絶対だった時代もありました。
時代は下り、今は自由恋愛が基本ですよね。
誰が誰に恋をしようと自由です。
それが障害の当事者同士であっても、です。
というのが大前提。より正確にいうなら『建前』。
恋愛は自由です。そして結婚も自由です。そのはずなんですが、
という親御さんがいらっしゃるのも事実です。
確かに経済的基盤、親亡き後の問題、体調不良等でのサポート面の脆弱さ、お住まいの地域での社会資源の多寡、子への遺伝、そもそも子どもをつくるだけの余裕のなさ、などの諸問題で、病人の恋愛はいいが、結婚だけは認めない……と。
……などなど、いきなり暗雲立ち込める話で誠に恐縮なのですが、少し上の世代の方には恋愛と結婚には大きな隔たりがある、そう認識されている方も大勢います。
障害者の恋愛とは
精神に限らず、障害を持つ以上は、何をするにつけ、常に120%の力を出さないと『ふつう』の結果を満足に出すことが難しいです。
恋にも全力投球、学業にも全力投球、仕事も余暇も、ともすれば休みの日だって休めないのがわたしたちです。
それをあたかも『恋愛ならいいけど結婚はしっかりやれ』とでも取れるような
いい方には、少しムッとしてしまいます。
このことは『精神障害者同士の結婚』と題し、いつかお話しできるよう稿を別に準備しております。
その稿の更新時にお読みいただけたらと思います。
その稿を要約すると、
と、いう主旨なんですけどね。とはいえ真面目に書いてるのでお楽しみに!(もちろん正当性のある内容ですのでそこはご安心くださいな)
さあ、それではいよいよ本義本題、恋バナを始めちゃいましょう!
障害に関係なく恋って周りが見えないよね
周りが見えなくなるのも恋患いの症状。わたしも出会った10年前からずっと、妻以外見てきませんでした。
好きなんです。今でもずっと。
当時、カフェレストラン形式のB型作業所で、清掃、調理、給仕などの作業をしていたころに妻と出会いました。(ほんとはもっと早い時期に見初めたんですが、それは割愛)
なんというか、『これが“美”である』と、確信しました。
今まで『美とは第一に~、またこの場合も美であり~』なんて教わらなかったし、『あ、美だ』なんて思ったこともなかったわたしがですよ。
『ああ、“美”だ』とすぐに理解できたんですもの。
もともと人間に具わった能力なのかもしれません。人生で一番大切な伴侶となりうる人との出会いって。
彼女はだれよりも気配りができ、だれよりも努力家で、どこを取っても完璧でした。
ただ周りの利用者(特に同性)からのやっかみというか、きつい批判があったと後で知るに至ったんですが、わたしは妻だけを見ていたので関係なかった。
外野には適当に言わせておけばいい、と。なんやかんやといってきたら守るつもりもありました。
あの頃のことを今でも思い出します。
告白してよかった。OKがもらえてよかった。
ああ、あの頃はよかった。
もちろん今も妻の思い出があります。それでも、あの頃もよかったんです。
……まあ、有頂天だったわけです。それも人生最大なくらい。
ですが、これから『恋愛ってなんだっけ……恋ってどうやるんだっけ……』な読者にあてて、存分にノロケては、しあわせムードを放散して参ります。
なにも無理して恋愛する必要はない
のっけから自分で鼻っ柱折るようですみません。でもほんとうに無理しないでいいのです。
多様化の時代、正確には多様なニードを社会(=という名のマジョリティ)が少しずつ受け入れられるようになってきた時代です。
つまり、なにも無理して恋愛なんて高カロリーな行動をとる必要もないんです。
一人がいいなら一人のまま生きられるよう、社会も思想も変容した方がいいに決まっているんです。
いつまでたっても『あの人はお一人様だから』などと他者を揶揄するのは、テレビか何かの観すぎだと個人的には思います。
それにだいたい、異性と結ばれる必要も必然性もありません。
そもそも結婚が生殖を目的とするとなれば、一夫一婦制がド派手に破綻します。
本稿は『精神障害者同士の恋愛』について書かせていただいておりますが、この連載は『したくてもできないことをできるようなお手伝いとなりたい』というシンプル極まりないモットーを掲げているのです。
ただそれも個人の知識です。
わたしの知りうる範囲でしか書けないので、偏りがあるだろうとは思います。
そういったことで、この記事が網羅できるのは限局的なものとなります。
裏を返せば、『一般論のない』『実体験に基づく』『生の声』となります。それが何らかの一助になれば、と思っています。
『初めてづくし』
わたしたち夫婦は両方ともクリスチャンで、婚前交渉も(ここだけの話)ほんの少しいたしました。
男性は性欲が強い、というのは共通認識だと理解しています。それは女性の20倍とも30倍ともいわれており、また女性の3割弱は男性並みの性欲を持つ、とされています。
ただこれは絶対ではないので目安程度にお考え下さい。
わたしたち夫婦も性欲の多寡もあって(宗教上の理由もありますが)好きな人と結ばれないつらさは当時のわたしにはありました。
もちろん誰だっていいわけじゃないんです。
『好きな人と最高の結ばれ方をする』ことが第一なんです。
セックスしなくても通じ合っていればいい。…なるほど。まあでも、できることに越したことはないんです。
もちろんほかにも楽しいこともいっぱいあります。
- 初めて手を握る。
- 初めてランチデートをする。
- 初めて恋人つなぎをする。
- 初めて映画館に行く。
- 初めてキスをする。
- 初めて……
『初めて』『この人と』『これを』『する』
たったそれだけのこと、あるいはひとりで何度もしてきたこと…その行為を好きな人とともにすることがどんなにか幸せか。
このことに精神障害者同士なのか否かは関係ありません。
あなたはすべての幸せを享受し、全身で喜び、ときめきを謳歌し、ハッピーになってください。
その権利は当然にしてあなたにはあるのだから。
※ただし、もし、もしもですよ、あなたが既婚者とくっつく傾向にある、とご自身で気づいているのであれば悪いことはいわないです、やめときましょう。いわゆる「経験者は語る」、です……
バレなかったら平気さ! バレれたら困っちゃうけどね! とかいうのもダメです。法にだけは触れないでね……何もかもが壊れます……。
もちろん注意したい点も
精神障害の当事者と、ひと口にいっても優しい人、繊細でこころの機微に敏く、気配り上手な人とは限りません。
あくまでも人間です。あなたにとって悪い人や怖い人もいます。
重犯罪を犯したとまではいかなくとも、それなりにヤバい人もいます。
だからといって覆せないものもありますよね。それが『恋』という病です。
ついさっき『不倫はダメよ』というようなことを書いた舌の根の乾かぬ内に白状しますが、わたしが相手ある女性とお付き合いしたことがあるからです。2回。軽蔑してくださって結構です。
ひとりは同棲中で入籍はされていない方、もうひとりはご結婚をされていた方。
もちろんダメです。絶対ダメです。
自分を棚に上げても、論外です。
『自分が不幸になるだけ』ならまだしも、お相手の家庭を不可逆的に破壊し、さらに民事訴訟となれば負けない方がおかしい。
断言できます。『どうしても諦めないといけない恋』がこれです。
前回の記事で性感染症について医療の方面から少しお話ししましたが、こういった『不貞行為』は民事で争います。
損害賠償額を先にお伝えしますと100~300万円が相場です。
これは婚姻関係のみならず、いわゆる内縁関係にある方が不貞行為をあなたとともに働いても免責にはなりません。
浮気、不倫はダメ、絶対。です。
それでも恋がしたい!
それでも恋がしたい、わかります。
真っ当な人生を歩む権利が我々にはあります。
でも、それらを妨げる要因が、わたしたちが病人である以上は付きまとってしまうもの。
- 症状により外出が疲れる
- お薬の影響で体型がくずれた
- 人の多い場所が苦手
- そもそも出会いがない……
これらのハンディキャップを抱えても、いえ、ハンディキャップをカバーしてくれるような人は必ずいます。
1/6,400,000,000,000,000,000
見出しの数字は、わたしたち夫婦が出会った確率(概算)です。
4つのボールが入った箱から、あるボールがペアで出てくる可能性を求める式は4の2乗。
これと同じ理屈で、『地球上である人とある人が出会う確率』を求めます。
かんたんです、世界人口をざっと80億として(正確にはこの記事を書いている時点で79億8533万人)、80億×80億=6,400抒(じょ)分の1=1/6,400,000,000,000,000,000
この式で『ある人』の片方を『あなた』にすると、80億×1/1=80億分の1。
一気に狭まりました。ハーレムどころの騒ぎじゃありません。相手は80億です。モテ期も甚だしいです。
それにしても天文学的過ぎて笑っちゃいますね、この数字。
1/6,400,000,000,000,000,000だなんて、宝くじよりすごい競争率だと思いません? いっそ運命すら感じます。
その倍率でわたしたち夫婦は出会ったのです。
すごいもんです。
わたしたち夫婦も、その両親も、またその祖先も、こんなに選択の余地はあったはずなのに出会って、結ばれ、添い遂げた。
なかなかないレアケースだと思うんですが、うちの家系だけでしょうか。
出会いって、恋って、そういうある一種奇跡のようなものです。
そこから恋に発展するかは誰にもわかりません。
でも、そうなったらいいなあと思ってくれる支援者、理解者、仲間、友達がゼロだとも、断言できないのです。
精神障害の当事者同士の恋愛
いかがでしたでしょうか。
これまで、精神障害の当事者同士の恋愛について少しお話ししました。
- 恋をするにあたり病気・症状は確かに障害だけど、その幸せのすべてを奪うまでには至らないこと。
- 恋の幸せはどんな人、状況であれ実感できること。
- 危ない橋は渡らないこと。
- 恋をする・しないはあなたが決めること。
恋とは基本ハッピーなものです。
けど、ときには胸が苦しくなることもあります。
それら含めての恋で、だれであれ、病気だろうと何だろうと等しく体験しうるものです。
次回の『精神障害者が語る恋愛・結婚・性について』をどのように書き進めるか、練りに練ってお披露目したいと思っております。
それまでお元気で。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
▼参考▼
煙亜月
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