「障害者」と呼ばれる人と「健常者」と呼ばれる人の間に生まれがちな「見えない壁」。
ひっそりと、でもしっかりと両者の間に立っている、とても厄介なものです。
障害者として35年生きてきた私も、この壁を感じたことが何度もあるんですよね。
こんなもの壊してしまいたい、と嘆く日々でした。
でも、壊したいと言いながら率先して壁を作っているのは、ほかならぬ自分自身だったりするから困ったものです。
仲良くなりたいはずなのに、できない。
壊すどころか壁を厚くするばかりだったんです。
ということで、この記事では、私が解決したいと願う「見えない壁問題」を取り上げます。
どのようなときに壁の存在を感じるのか。その壁はなぜ生まれるのか。考えていきます。
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全盲の私が壁を感じたとき:盲学校時代編
生まれたときから全盲だった私。
自分は目が見えないんだ。周りのみんなとはちょっと違うんだ。物心ついた頃から、その事実は何となく理解していました。
そんな私が初めて壁を感じたのは、盲学校に通っていた小学生の頃でした。
「交流」という名目で、地元の小学校を訪れたときのことです。
教室に入ると、ザワザワとにぎやか。
30人以上もの仲間と一緒に、授業を受けたり、遊んだり、給食を食べたりしました。
これは私にとって衝撃的なイベント。
少人数で過ごす盲学校では、経験できないことの連続だったからです。
このような機会は1学期に1回くらいあったのですが、そのとき出会ったクラスメイトたちはみんなとても優しかったんです。
フレンドリーに話しかけてくれて、休み時間には、私の手を取りいろいろな所に連れて行ってくれました。
「ここに椅子あるよ、座って」とか、「ブランコ乗ってみる?危なくないように押してあげるね」とか、見えない私のために何かと配慮してくれたのが印象的でした。
盲学校ではたくさんの友達を作ることはできないけれど、ここではできるかもしれない。大きなチャンスでした。
ところが、どうも居心地の悪さが拭えなかったんです。
「ありがたいけど、そんなに気を使わなくても……」というのが正直なところでした。
アクティブに過ごせる。
それなのに、たまにしか会えないので、交流の場ではそんな本当の自分をうまく出せなかったんです。(私の人見知りな性格のせいというのもありますが)
そのため、「何かしてあげなきゃ」と過剰なくらい気を使わせてしまい、助けてもらうばかりになっていた。
今も悔やまれるところです。
大学時代
高校まで盲学校で過ごした後、一般の大学に進学した私は、新しい環境に身を置くことになりました。
盲学校とはまた違う、さまざまな仲間との出会いがあるはず。
そして「交流」のときのように「たまに」ではなく、毎日みんなと会って一緒に過ごせるはず。
寮生活をスタートさせたのですが、寮で出会った仲間はとても親切で、何かとサポートしてくれました。
仲良くなれるかも、と嬉しくなったのを覚えています。
ところが、何かモヤモヤする。
なかなか距離を縮められない自分がいたのです。
「一緒に授業受けない?」と誘おうとはするのですが、「迷惑だろうな」とあきらめるばかり。
「優しく声をかけてくれるのは友達だからなのかな?それとも私が困っていそうだからというボランティア精神なのかな?」
そんなふうにあれこれ考えて、自分自身で余計な壁を作ってしまっていました。
そういう調子だったので、結局1人で過ごすほうが気が楽なのかなと考えるようになっていきました。
「友達100人」などと意気込んでいた自分は何だったのか……。
盲学校や大学以外でも、似たような経験をすることはよくあります。
初対面の相手と関わろうとすると、「どう接したらいいんだろう」とお互い気を使ってしまい、うまくコミュニケーションできないことがしばしば。
でもそこまでのハードルが驚くほど高いんですよね。
どうして壁が生まれるのか
一緒に過ごせる場が少ない
壁を作るものとして大きいのは、「障害者と健常者の関わりが少ない」ということ。
一緒に過ごす機会が足りないんです。
例えば教育の場は分離されがち。
障害の有無にかかわらず誰もが同じ場で学ぶ「インクルーシブ教育」も広がってきてはいますが、まだまだという印象があります。
私も「分離された環境」で育ちました。
当時私の住んでいた地域では、全盲の場合盲学校以外の選択肢は、ほとんど考えられなかったんです。
もちろん盲学校には盲学校のよさがありました。
同じ境遇の仲間と出会い、じっくり情報交換することもできた。これは大きかったと思います。
ただ、人間関係の幅を広げることはできなかった。
いろんな人がいる。いろんな考え方がある。いろんな生き方がある。そういうことを感じる機会が不足していたんです。
柔軟にさまざまなことが吸収できる幼い頃にそれをしていないと、その後人とのつながりを作る上で戸惑うことになるんですよね。
選択をする重要性
インクルーシブ教育を進めるのは、簡単なことではありません。
それでもせめて1週間に1回、地域の学校で授業を受けるとか、授業は別でも部活のときだけ一緒に過ごすとか、私にも人間関係の幅を広げるきっかけが、もっとあればよかったのにと考えることがあります。
障害があっても、環境が整っていれば地域の学校に通うことは可能です。
それを実現した知人が何人かいますが、みんなと協力しながら部活を頑張ってるとか、休みの日には友達と出かけてるとか、壁など感じずとてもエンジョイしている様子でした。
盲学校に通うよりもエネルギーは要るはずですが、忙しそうではあっても充実しているというのが伝わってきました。私はいつもそれを羨ましく思ったものです。
もちろんうまくいくケースばかりではなく、盲学校のような環境のほうが望ましい場合もあるはずです。
「日常的な関り」が必要
交流の場を設ければ、障害者と健常者の関わりは増やせるのではないか。それも一つの考え方です。
ただ、これは慎重に行わなければ逆効果になる恐れがあります。
私自身も、地元の小学校で「交流」を経験しましたが、壁を感じてしまった。
これは、「日常的な関わり」ができなかったからだと思うんです。
交流の場にいたのは「いつもの私」ではなく、「特別な私」だった。
みんなも「特別な対応」をしてくれていた。
たまにしか会わないから、不自然な人間関係になっていたんですね。
交流の場で、本当の自分を出せなかった。
大学時代は毎日仲間と会っていましたが、それでも一歩引いてしまった。
それは、交流のときの感覚が染みついていたからかな、という気がします。
もっと「助け合う」経験を
「日常的な関り」ができない状況では、「さまざまな背景を持つ仲間同士で助け合う」という経験が不足します。
これは大きな問題です。
障害の有無など関係なく、助け合うことができるのに。
確かに障害があると、困ったときに助けを求めることは多いかもしれません。でも、「助けられるだけの存在」ではないんですよね。
「どうすれば助け合えるのか」と考えること。
全盲の壁を壊すためにリアルな日常を発信
壁を壊したい。
その思いで今取り組んでいることがあります。それは、発信活動です。
ライターとして記事を執筆したり、動画を配信したり。
そうすることで、全盲である私のリアルな日常を表現しているんです。
特に動画には、「そのままの私」が色濃く出ているのではないでしょうか。
最近食べた美味しいもののこと、気になったニュースのことなど、ラジオ感覚でお喋りする。
それだけの動画なのですが、配信することには大きな意味があると思っています。
これが「日常的な関り」につながるかもしれないからです。
動画も1つ紹介させていただきます。
視覚障害に関する知識を伝えることもありますが、それ以上に大切にしているのは、「何気ない日常のひとコマ」を表現すること。
見える人と見えない人には、たくさんの「違い」があります。
その違いを共有して、一緒に楽しめたら素敵だと思うんです。
例えば皆さん、おでんの具材について話していて、「私はサツマイモ入れます」とか「私は餃子入れます」とか地域や家庭による違いに触れたことってありませんか?
「えー、そんなの要れるの?」と驚きつつ味を想像してみたりして、楽しいですよね。
私が目指しているのはそういう感覚です。
そしてそうすることで、「そうか、違いはいろいろあるけど、こういうところは同じなんだ」ということも感じられるはずなんですよね。これもまた楽しい。
動画を見てくださった方からコメントをいただくのですが、私自身も「なるほど!」とさまざまなことに気付かされています。
壁なんていつか必ずなくなる。
こうしてコメントのやり取りをしていると、そんな気持ちになれます。
インターネットのある時代で本当によかった。無名な私ですが、こうして世界中に向けて思いを伝えられるのだから。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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