相手の顔をちゃんと見る。その特徴を覚える。表情を確かめる。
自分の顔を鏡でしっかりチェックする。その場に合った表情を作る。
これはコミュニケーションを取る上で重要なことですよね。
ところが、生まれたときから何も見たことのない私は、それを実行することができません。
うまくコミュニケーションを取るためには、顔以外の部分に注目することが必要になってきます。
そんな状況なので、多くの人にとってとても身近なものである「顔」について、私が生活の中で意識することはほとんどないんです。
では、私は人の顔をどのようにとらえているのか。普段は顔以外のどこに注目しているのか。この記事で改めて考えてみます。
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全盲でも人の顔を想像する?
「誰かと話しているとき、相手がどんな顔をしているのか、想像したりするんですか?」
以前初対面の方にそう尋ねられたことがあります。
私はこの質問に衝撃を受けてしまいました。
確かに多くの人は、電話で声だけ聞いているようなときでも、目の前にいるかのように相手の顔を思い浮かべているのかもしれません。
しかし私の場合、それがほとんどないのです。
顔とは何か。それはどういうものか。もちろん私もある程度は知っています。
ただ、それは情報として知っているというだけのこと。
「顔」と聞いて私の頭に浮かぶのは、自分のそれに触れたときのざっくりとしたイメージだけです。
「可愛い顔」とか「濃い顔」とか、「怒った顔」とか「真剣な顔」とか、日常会話でよく耳にするのですが、十分には理解できていません。
目で見て持つ印象をはっきりと想像することは難しいんですよね。
人の顔に触るとどう感じる?
そんな私ですが、1度だけ自分以外の人の顔をまじまじと観察したことがあります。
それは子どもの頃。
盲学校の寄宿舎で誕生日会があり、みんなでゲームをしたときのことです。
そのゲームというのがとても衝撃的で、私は今でもよく覚えています。
皆さん、どう思います?
見ることのできない私たちがどうやって似顔絵など描けばいいというのでしょうか。
疑問を抱いた当時の私は、このゲームを考えた先生の説明を聞き、耳を疑いました。
「相手の顔に触って、形を確かめながら描いてみて」と言われるではありませんか!
人の顔を、この手で確かめるなんて。
無茶だと思いましたが、私はペアになった先生の顔に恐る恐る触れてみました。
さて、そうして得られた感想はどんなものだったか。
その特徴をどうにかつかもうとしましたが、よくわからない。
自分のそれとどう違うのか、絵でどうやって表現すればいいのか、ちんぷんかんぷんです。
仕方がないので、絵は適当に描きました。
それにしてもよく考えたら不思議なゲームですよね。
私の描いた絵、どんなふうに評価されていたのでしょう。顔にすらなっていなかったかも……。
親しい人の顔を見てみたい?
大切な家族の顔も、大好きな友人の顔も、私は知りません。
どれだけ近くにいても、この目で見ることはできないんですよね。
うーん、こんなふうに書くと、何かとても切ない響きですね。と言っても私、実はこのことについてはあまり深く意識したことがないんです。
もし技術の進歩により私が視力というものを手に入れ、初めてみんなの顔を見られたとしたら、それは喜ばしいことかもしれません。
ただ現実的に考えると、「ふーん、なるほど」というくらいにしか受け止められないのではないか、と思うんです。
目の使い方もよくわかっていないし、まずはそこに戸惑って感動どころではないだろうなと想像しているんですよね。
顔の代わりに重視するものは?
顔を意識しない私にとって重要なのは、声です。
誰かを思い浮かべるときには、頭の中でその人の声が再生されます。
初めて会う人と話すとき、私の中でまず行われるのは、声の特徴をつかむ作業。
「鼻にかかった高めの声だな」とか、「あのラジオ番組のパーソナリティに似てるかも」とか、自分流に分析して頭にメモするのです。
あるときは「サイダーみたいな声だな」「カルボナーラのパスタってところかな」などと、飲み物や食べ物に例えてみることもあります。
とはいえ、その特徴を覚えるのはなかなか難しいもの。
イケメンと感じることもある
顔を見るのと同じように、声に耳を傾ける。
これってとても面白いことなんですよね。
声にはその人の本質が表れているような気がするからです。
「この人きれい」「この人イケメン」と感じることが私にもあるのですが、多くの場合声をきっかけにそんな思いを持つんです。
友人たちとそういう話でよく盛り上がっていたのを思い出します。
中学生の頃なんか特に激しかった。
「あの芸人さんかっこいい、将来結婚するならこんな感じの人がいいかも!」なんて熱を上げていたんですよね。何か恥ずかしいですが……。
声以外の本質
また声以外にも、相手の本質が表れる部分はたくさんあります。
話し方とか、生活音とか、においとか。
私もいろんなところに注目して、相手をより深く知ろうと努力しているわけです。
視覚障害者の恋の始まりにはそんなケースもあるのだとか。
私にはその経験はないですが、素敵ですよね。
相手が言葉を発していないときは、顔がわかればどれほどいいだろうと思うこともあります。
今話しかけて大丈夫か、表情など見て判断したいからです。
ただ、それができない分耳で相手の様子を確かめようと心がけるため、丁寧に相手と関われているのではないか。そんな気もしています。
自分の顔についてはどう思う?
私、知りたくて仕方がないんです。
「自分の顔はいったいどんなふうに見えているのか」について。
まあ、そんなの知らないほうが、余計な悩みを持たなくて済むからいいのかもしれませんが……。
でも聞いてみたとしても、正直に答えてもらえるかどうかわからない。
それに正直に答えてもらえるとしても、やっぱり知るのはちょっと怖いような気がする。
というわけで聞けないままです。
1度だけ知人から、私の顔について謎の感想をいただいたことがあります。
「そうだな、音に例えるとしたら、『パシュッ』って感じかなあ?」
彼女はそう言ったのです。
パシュッ。頭の中で何度も繰り返しました。
正直、よくわかりません。
あんまり可愛い響きではないかな、という感想が浮かぶくらいで。
それでも参考にはなっているかな、という気がしますね。子どもの頃のことなので今は変わっているかもしれませんが。
ちなみに以前、全盲でも「夢」を見るという記事も書かせていただきました。
▼参考▼
生まれつき全盲の私でも夢を見ます!夢の中の色や風景がどんなものかを公開!
全盲だからこそ想うこと
「君の顔が好きだ」というタイトルの歌があります。ご存じですか?
斉藤和義さんの名曲です。
この歌詞、皆さんはどう思われるでしょうか。
「君の顔が好きだ 君の髪が好きだ 性格なんてものは僕の頭で勝手に作りあげりゃいい」
「形あるものを僕は信じる」
そんなふうに歌っているのです。
かっこいい曲だと思うのですが、顔を重視しない私は、歌の主人公に反感を抱いてしまったんですよね。
「相手の見た目にしか興味を持っていないということか!中身はちゃんと見ないのか!何てことだ!」と。
もちろん考え方は人それぞれですが。
目に見えない部分は自分の解釈次第で変わってしまう。
でも形あるものはそうじゃない。
相手の顔を見れば、そこには変えられない真実がある。
その真実をすべて受け入れた上で、「君の顔が好きだ」と言っているのかもしれない。
そう思うとこの歌詞に好感が持てたのでした。
顔を見れば、いろんな気持ちがそのまま伝わってくることがある。
それをお互いに理解して、「好きだな」と思い合えたら素敵ですよね。
見えない私は、この目で顔を確かめることはできません。
だからあまり意識はしないで生活しています。
それでも自分なりに、見るのとは違う形で、相手の顔にある真実に触れてみたい。
そういうことも大切にできたらと思っています。
みんなの顔に、いつも明るい表情がありますように。そう祈りつつ、この記事を締めようと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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