世界とより繋がっていくグローバリゼーションの進展、新自由主義の進行による競争社会により、そこに入っていけない人がたくさん増えてきたと思います。
新たなことへの挑戦。
そのことによる極度な不安。荒波にもまれ敗北を経験したり、あるいは負けてしまうかもしれないという恐怖心を持ってしまう方は少なからずいるでしょう。
意識的にせよ無意識的にせよ、自分を競争原理の市場経済から遠のけ、自らの世界を守ることを選んだ人、また労働市場に入り、破れて市場を出た人がたくさん発生したのではないでしょうか。
そういう方や、現在荒波にもまれて苦しんでいる方。また、パワフルに乗り越えてきている方にも読んでいただきたいです。
今の働き方、社会にほんの僅かですが一石を投じる。働き方に悩んでいる方の何かの助けになればと思います。
お好きなところからお読みください
労働力商品という仕事観
労働力商品という名を生み出したのは、資本主義に対する批判で有名な、経済学者であり哲学者のマルクスという人物です。
マルクスはソ連や中国のような共産思想を生み出した人でもあります。
労働力商品という概念は資本主義批判として鋭い感覚を持った言葉です。
労働者の労働力もまた商品という考え方で、労働力と交換されるものが「賃金」である。
この「労働力商品」今でも新鮮に響きませんか?
人間を「商品」のように、労働市場で売り、そして金銭に変える社会。
僕がそうであったように、精神障害者は自分の時間を売ってお金に代えるということに対しての拒否感を多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。
健常者であっても労働力商品となることには多くの悩みを抱えるものだと思いますし、それを抱えながら生きているのが普通なのでしょう。
僕自身にも病歴があり、その根底には常に「労働力商品」に対する恐れがありました。
そして、この言葉に出会ってからはなお、それを恐れ、また意識するようになりました。
自分を労働力にすることへの拒否感
- 本当はやりたいことや夢があったけど、諦めて生活のために仕事をしている人。
- 夢なんて持ったことないけど、食べるためには仕事をするしかないし、仕事はするのが当然の社会だからしている。
そんな人は、一度は思ったことがあるはず。
この時間で、好きなことをしてみたいなぁ。
そんな風に考えるのは、無意識に自分の時間を会社に売っていると解っているからじゃないでしょうか。
仕事が好きな人、好きな仕事に就いた人、今の仕事を好きになれた人は働くことで元気でいられたり、やりがいを持って日々を過ごしていることでしょう。
そんなあなたは幸運かも。
でも、そんな人でも自分を商品だと思ったら、「生理的拒絶」はふと湧いて出るのではないでしょうか。
自信がないと仕事にも影響
精神的に弱っている方や、肉体的に障害のある方はそれに更に拍車をかけることになるのではないかと僕は考えます。
そんな不安や自信のなさが、労働市場に入っていきにくくするのです。
そして労働市場から遠ざかることで、ますます精神状態が安定しなくなっていくのです。
精神疾患を抱える者の中には、感性が鋭く、会社などに入ると心が汚されるように感じる人もいます。
守られた自分の世界で生きていたいと考え、社会に出ると搾取されて、ぼろぼろになってしまうと恐怖することがある。
いわゆる引きこもりの人の心理もそういう状態なのではないでしょうか。
働きたくないわけではなくて、やっていけるか自信がない。
自信がないから怖い。
そう考えてしまうのは病気なのであり、決して怠けているわけではないのです。
食べるために仕事をする
自分の仕事に熱意がない場合、働くために食べ、食べるために働く日常が始まります。
朝早く起き、背広を着て、満員電車に揺られ、会議し、上司がいて、残業がある生活。
残された自由時間はほとんどなく、食べるために働き、働くために食べるようになる。
そんな日々でも、わずかな時間を謳歌出来る人はいるし、一杯のビールで全部チャラに出来る人も実際にはいます。
でも、心身が健康でないとそういう思考になはならないのです。
そして、うんざりする毎日が待っているという想いのなかに閉じ込められるのでしょう。
精神病を抱えるの多くの人は、なかなか経済的なことに興味が向きません。だから、お金を得るという楽しみを感じにくいのです。
一日に何をするでもなく無為に過ごしてしまいがちで、それがさらに精神状態を疲弊させ「労働力商品化」が難しくなります。
特に、低所得者や劣悪な仕事に就かざるを得ない状態にあると、何のために生きているのか分からない状態に拍車がかかるのではないでしょうか?
日々の暮らしのためにお金を稼いでも、それは一か月分の自分、あるいは家族が生きるためだけの必要経費として消えていき、手元にはごくわずかしか残らない。
お金がないから行動に移せず、行動に移せないことで自信を得られない。
そんな悪循環も生まれてしまうでしょう。
社会の複雑さ、働きにくさが精神障害者を産む原因の一つであり、だからこそ再参入が難しくなります。
生きがいのない働き方とは
「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事」という本をご存じですか?
著者の主張としては、社会的仕事の半分以上は無意味であるとするものです。
本書では、無意味な仕事の存在とその社会的有害性を分析しています。
自分の仕事は誰かの、社会の役に立っているのだろうか?
本当は無意味なんじゃないだろうか?
仕事にやりがいを見出せない人は実は多いのではないでしょうか?
精神障害者の市場参入にとって最も効果があることは、このような「無意味」な仕事をしないこと。
自分にとって合う仕事。やりがいのある職場を見つけることです。
ただ現在の日本では、障害を抱える人に単純作業や過酷な割には最低賃金(しかも最低時給)しか与えられない。
そんな労働が一般化されています。
特に障害者年金などを受け取れない部類の障害者は、健常者や、年金を受けられる障害者以上に労働力搾取をされがちなのです。
そんな状況を目の当たりにすれば、当然意欲そのものを奪ってしまいます。
「希望」を奪うのです。
社会は正しい?
日本は現在自殺率が年々上がり続けていて、しかも若者の死亡理由のトップが自殺なのです。
給料が上がるわけでもなく、少しづつ増やされていく税金。
国の借金の現状から将来の負担が垣間見える現在。
ネット社会の今、若者はこの現実を知っています。
未来に希望を見出せない若者が多く存在しているのではないでしょうか。
「ブラック企業」と言われる企業の中には資金がカツカツで給料を上げたくても上げられない。人手が足りないから、働いてもらうしかない。
そんな現状も確かにあるのでしょう。
精神疾患の問題は社会全体に責任があり、みんなで考えて行かないといけない問題だと思います。
日本では毎年、精神疾患が大幅な増加傾向にあります。
労働そのものが、人間的でなくなっているのではないでしょうか。
非正規という仕事
問題があるのは、ブラック企業の存在だけではありません。
上記でも少し触れましたが、非正規雇用について提議させていけたらと思います。
ご存じでしょうか?
日本の労働人口の4割が非正規雇用なのです。
いわゆる派遣という職種は、派遣先の期限が決まっていて、延長にならなければそれで終わり。
早ければ三か月で「クビ」なのです。
就職氷河期と言われた時代、多くの人が正社員になれず、派遣社員になりました。
今でも正規になれず、派遣を点々としている方は多くいらっしゃいます。
非正規の方は、不況などの時の調整弁にさせられてしまいがちで、知らず知らずのうちに「使い捨て」にされているのではないでしょうか?
会社内でのコミュニケーション
複雑で生きにくい社会であるのは「労働力商品」だけではありません、
官僚制が世にははびこっているからです。
組織のなかでは、上位下達で働かなければいけません。
ときに理不尽なことが起こっても「社命」である限り従わなくてはならないのが現状です。
労働市場に参入できるかを決する大きなポイントに、上司との関係があります。
注意されたり、叱責されたり、指導された時、それに耐える力、精神力、そしてそれに対応するだけの「キャパシティー」の大きさが必要になってきます。
しかし残念なことに、精神病であることでこの力は衰えてしまいがち。
だからこそでしょうか。労働市場に参入しても「再脱出」してくる方も多くいます。
指示命令系統が存在し、上司の職令には従わないといけないということを学ばない限り、組織で仕事をすることはできません。
それが良いか悪いかに関わらずです。
学歴が仕事にも影響する時代
「学歴社会」という問題も障害者が働く上で大きな問題としてのしかかります。
進学先が社会階層の振り分けの手段となってしまっている現代、疑問を持つ人も出てくるでしょう。
精神障害者のなかには、高校などの在学中に発病し、学業を断念したり、学業にエネルギーをかけられなかった人もいます。
そして、「学歴」をつけられなかったことが、より一層生活と人生にハンディとなり、また労働参入を難しくさせ、「希望」を奪っていきます。
高校生などは思春期であり、心も頭も身体も激変します。
そのなかで、病気が発病した人は社会に多く存在します。
そしてその「ねじれ」のなかで葛藤する個人が生まれます。
また、学歴があっても、それを「いい会社」につくために活かす道に進まない、進めない人、制度の溝で立ち止まってしまう人も現れます。
教育現場から変えるべき?
学歴社会による一番の弊害は、学びが主体的ではないことです。
本来学ぶことは、主体的、意欲的に行われ、生徒の興味を活かすべきです。しかし画一的な教室のなかで、暗記偏重の勉強が課せられているのが現状でしょう。
本来は個人個人学習は変えるべきなのではないでしょうか。
しかし、効率化を重視している現在の教育ではそれは困難というものでしょう。
みんなと同じでなくてはならない。
給食を残すと食べ終わるまで、クラス全員が休みなし。
そういった先生の指導によって、いじめを受けるようになった方を実際に知っています。
あの子がそう言ってるから、自分も言わざるを得ない。
結果的に誰かをいじめることになってしまい、それを後悔して生きている。
同調圧力は、教育の現場でも確実に存在しています。
精神病の人のなかには、とても辛い子供時代を送った人がいます。
社会が怖くなるということ
精神的な問題の大きな点として、「社会が怖くなる」という心理状態があります。
自分が精神病になるほど追い詰められた社会に戻ろうとするのは、普通の感覚では難しいです。
精神病の人の再チャレンジにもっとも適しているのは、自信と自分らしさを取り戻せる環境からスタートすることです。
また精神病は、さまざまな現代社会のゆがみを映す鏡である「現象」であるといえます。
鬱病、統合失調症、不安障害などの精神病は、現代社会への適応への苦しさ、またそこでの傷つきに大きく由来します。
社会自体が変わらない限り、精神病自体を完全になくすことは難しいと考えています。
障害があっても働くことができる新しい時代
しかし、社会は変わりつつあります。
障害者総合支援法や障害者虐待防止法の成立により法的にも大きな変化があるのです。
長期入院から地域での暮らしへと大きな流れができてきています。
A型やB型の就労支援作業所、障害者雇用も整備が整いつつあり、病気があるからといって、就労を諦めなくても良い社会が目指され、実現しつつある。
広く情報を集め、適切な場所を選ぶことで、職を得ることが実現可能になりつつあるのです。
また、「非障害者」の世界でも働き方は大きく変わってきています。
昔のように大企業に入り終身雇用されるのは一昔の話となり、さまざまな形での就労が進んでいる。
NPOや社会的企業(ソーシャルビジネス)もそのうちの一つです。
障害者にも必要! 働き方改革
フリーランスや在宅の仕事につく人も増え、病気が治り、自律的に働く障害者にとっても、「新しい働き方」は一つの選択肢として現実的になってきています。
精神病は治る病気ですし、フリーランスや在宅のほうが力を発揮しやすい特性を持つ方も多くいます。
人によってはストイックさと真面目さで、大きな業績を残せる人も存在しているのです。
またフリーランスや在宅勤務を選ぶと、田舎で働くことが可能になるでしょう。
自然豊かな環境で働くことは心の栄養を補うためにも良いことだと思います。
また就職という形をとらわれず、アルバイトを目標とする方もいます。
創作活動などに生きがいを持ち、生活費をアルバイトで稼ぎ、障害年金を受給するというのも一つのあり方ではないかと僕は思っています。
病気を持っている人にとって、たとえば陶芸など、自分のペースで打ち込むことが最も適している働き方である方もいます。いろいろな職場をあたり、自分にあった世界を見つけてみてください。
▼参考▼
引きこもりでもできる仕事13選!在宅の障害者が時給1000円以上にする方法も!
▼参考▼
精神疾病者にとっての「新しい働き方」!肉体労働か失業かを超えて
新しい仕事に対応していく
コロナ禍によりそれらの働き方はより現実的な選択肢となってきました。「非障害者」にとっても、在宅勤務はもはや、新しい動きではなく、社会の主流になりつつあります。
人間関係のストレスを抱え込まないで済む在宅勤務は、障害を持っている人にとっても一つの選択肢でしょう。
会社に入ることだけにとらわれず、広く選択肢をさぐっていくことをお勧めします。
それは決して、社会の流れに逆らうことではなくむしろ、社会から承認され背中を押してもらえる働き方なのです。
自分にあった働き方をぜひ見つけてみてください。
かく言う僕も、「会社で働くことは絶対に嫌だ!」と言い張って就職はしませんでしたが、当事者スタッフとして入職し、資格の勉強をしながらライターとして活動しています。
夏目作弥
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