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自分の全てを否定していた過去を精神障害の症状として振り返る!名前と容姿篇〜八壁ゆかりの崖っぷちブルース第13回

  • 最終更新日:
水たまりに雨が降っている様子

雨の日が続き、聴覚過敏で雨音が致命的に苦手なワタクシこと八壁ゆかりは室内でもノイキャンばりばりのヘッドフォンを装着、ゴリゴリのロックンロール大音量で迎撃かますぜ!

 

——とかいきがってみましたが、実際は「早くやめ〜早くやめ〜〜〜」とベッドですんすん泣きながらのたうち回っているのが実情、今から梅雨が恐くて仕方がないです。

 

さて、今回は、「空白期間」前篇にて伏線を張った、

 

「性自認の揺らぎ」

 

について、LGBTQ+の視点からではなく、精神障害の「症状」として、振り返ってみたいと思います。

 

なお、当記事では「名前」と「容姿」に対する否定について書きます(「ジェンダー」も込みで書いたら文字数が以下略)。

 

幼い頃から自分の名前、外見、そしてジェンダーを否定していた私の体験談が、今そういった自己否定を抱えてらっしゃる方に少しでも届きますように。

概要と留意していただきたいこと

 

まず、『自分の全てを否定』していた時期のことを、過去記事では、

 

「限りなくトランスジェンダーに近い」

 

と書いてしまいましたが、これは軽率だったと今は反省しています。

 

確かに私は23歳まで、「自分は男だ、男になれなければ死ぬしかない」と思い詰めていました。しかし、よくよく考えると、それは発病前からずっとあった、

 

『自分の全てを否定する』

 

という思考の観点から説明ができるのではないか? と考えを改め、書いてみたいと思い立った次第です。

 

ですから、繰り返しになりますが、この記事のポイントはジェンダー・アイデンティティの問題ではない、換言すると「LGBTQ+とは関係ないよ」、と最初に宣言させていただきたく思います。

 

状態としては、まあ、トランスジェンダーのように捉えることが可能な時期もありました。

 

しかし、セクシャル・マイノリティの方や、トランスジェンダーの方とお話しすると、トランスジェンダーに対する見解に差異があったりしました。

 

ですから、そういった誤解を生まないために、上記の宣言に至りました。どうかその点をご留意いただき、同時にご理解をよろしくお願いいたします。

 

自分の名前を否定、偽名すら使う徹底ぶり

 

初手は「名前」から、私の『自分の全てを否定』思考を紐解いていこうと思います。私の本名のファーストネームは、何を隠そうまんま「ゆかり」です。どうあがいても女の子の名前ですよね。

 

また、苗字は平々凡々としていて、成人してからも気に食わない、なんならいっそ改名したい、と願うほど忌避感がありました。そんな私にとって、幼少期の葛藤だったのは「一人称」でした。

 

「僕」や「俺」を使用すると当然ながら親に、

 

「ゆかりは女の子でしょ! ちゃんと『私』って言いなさい!」

 

と叱られていました。まあ、時代背景を考えれば当然の躾です。

 

それでも、「私」というのは「女が使う一人称」というイメージが自分の中で拭えず、結局、

 

“ゆかり”
ゆかりは○○したい

 

という風に、ファーストネームをそのまま一人称として利用していました。

最初の小学校では周りも気にしていなかったのですが、現在の実家に引っ越すと、まあ、当時そこがえげつねーレベルで荒れておりまして……。

 

「ゆかりはねとかって、おまえガキくせえんだよ!」

 

と、転校早々言われまして、加えて、後述する自業自得のいやがらせ行為(副題:「アレっていじめだったのかな?」)もあり、一人称を「ゆかり」から「私」に変更いたしました。

 

そんな空恐ろしい小学校でしたが、中学受験に成功して卒業する頃には慣れきってしまい、私立の学校に進学すると、

 

“ゆかり”
なんだこのお坊ちゃま&お嬢ちゃま共は!

 

と、逆カルチャーショックを起こしました(笑うところです)。

 

ニックネーム=偽名を発案、公的な書類にもそれを使用

少しばかり時間をすっ飛ばしますが、私は私立の高校にエスカレーター式で進学し、2年生の1学期を最後に通信制高校に編入、英語学校に2年近く通い、3月に高校を卒業すると、5月にはもうニューヨークにおりました。

 

「Yukari」という名前は、アメリカ人、またはニューヨーカーだけかもしれませんが、

 

「ゆぅけりぃ〜」

 

としか聞こえませんでした。アクセントは「け」にかかります。そこで私は名案を思いつきました。

 

“ゆかり”
「ゆぅ(You)けりぃ〜(Kerry)」なら、ニックネームとして「”Kerry=ケリー”と名乗ろう!」

 

何校か英語学校を転々とし、その後大学にも入学しましたが、そのどこででも、講師・教授に「ゆけぇり〜」とか言われたので、

 

「Please call me Kerry!!!」

 

と高らかに叫んでました。

 

 

そして、社会保障番号=ソーシャルセキュリティナンバー(今での日本で言うマイナンバー的なもの)に至っても、ファーストネームは変更可能だったので、「Kerry」を記入し、受理されました。ホントはパスポートとか学生証も変更したかったのですが、それは法律的に無理でした。

 

ニックネームごった煮状態

帰国後、すぐ閉鎖病棟に入院しましたが、入院同意書にも堂々と「Kerry Yakabe」とアメリカ式のサインをし、他の患者さんにもケリーと名乗っていたので、ほとんどの人が私の本名を知らなかったと思います。

 

閉鎖病棟のエピソードに関しては、別記事で。

 

▼参考▼

私が自傷行為をやめたキッカケ!原因や接し方を語りたい 〜自傷15年史から得たヒント〜

 

 

また、退院後に知り合った友人らにも「ケリーさん」で通っておりましたし、インターナショナルの大学 in 東京に編入した時も躊躇なく「Kerry」で押し通しました。

 

しかし、その短い大学時代、友人とウェブサイトを立ち上げたんです、日本語&英語で。私は、「Rin」というハンドルネームに決め、そのサイト経由で出会った友人たちの間では、すっかり「りんさん」と呼ばれるようになりました。

 

何故「Rin」と名乗ったかというと、幼い頃から両親にそう呼ばれていたのと、この響きだけでは、ぱっと見英語でも日本語でもジェンダーが分かりにくいからです。

 

では、「ゆかり」から「りん」に転生したか、以下に書きますね。

 

ゆかり→ゆかりん→ゆかりんちゃん→りんちゃん→りん

 

ゆかり
なにこの英名「エリザベス」が「ベス」になるみたいな展開!

 

それはともかく、サイト運営も終了し、ロックやパンクのライブに足繁く通うになってからは、友人らの中で私を呼ぶ名称がかなり増えていました。

 

・ゆかり(昔からのリア友)

・八壁(中高で私の旧姓を知っている友人)

・ケリーさん(帰国直後の友人)

・りんさん(サイトや音楽関係で知り合った友人)

・Rin(その後英語を話す時のニックネーム)

・**さん/**ちゃん(結婚後に知り合った友人→夫の姓)

 

ゆかり
俺何人いるんだよ!!(自業自得ですが)

 

現在は、「ファーストネームのちゃん付け」及び「ゆかりん」以外は大抵許容しています。これもおそらく、23歳で「男じゃなくていいや」と悟ったからこその成長だと思います。

 

卒アルの顔をマッキーで塗りつぶすレベルで嫌いだった容姿

 

 

いや、これ痛い話ですけど事実なんす。小学校の卒業アルバムだけですけどね。

 

何故? 理由はシンプル。

 

上に書いた、自業自得のいやがらせ行為(副題:「アレっていじめだったのかな?」)に起因いたします。

 

「黒人のハゲザル」はあだ名というより蔑称だよな

この「黒人のハゲザル」は、先ほど言及した、荒れに荒れていた小学校時代にほぼ全ての児童から言われていた呼び名です。

 

今でこそ常人並みの肌色をしている私ですが、生まれてから18歳くらいまで、めっちゃくちゃ地黒だったんです。それが物凄いコンプレックスで、幼い頃から母親の美白系の基礎化粧品をひたすら塗りまくってました。

 

しかし、小学生の頃は、日焼けでもしたらすーぐ真っ黒けっけになってしまう体質(=「黒人」)で、また背が低く、薄いつむじが丸見えだったので「ハゲ」が続き、さらに私の耳が大きく、人より立って生えていることから、「サル」が追加されました。

 

ゆかり
今考えると、小学生女子に使うニックネームではないかなぁ、とかぼんやり思います。

 

でも、こういったあだ名や、靴を隠されたり燃やされたり、狭いところに閉じ込められたり、嘘の待ち合わせをでっち上げられ2時間待っても誰も来ないとか、挙げ句隣のクラスの女子らに「ハゲザルー!」と罵られながら自宅まで追いかけられたり(これは流石に親がキレました)、そんな扱いを受けていましたが、今になって思えば、これは「自業自得」でもあったのです。

 

中学受験のため塾に通っていたから学校の成績が良いのは当然のこと、またピアノが上手かったのも3歳から習っていたから当然のこと、しかし私はこれらを鼻に掛けていたのです。

 

どこかに閉じ込められ、担任の教師が鍵を開けてくれた時も、むしろ説教をされました。「いつも自慢げな態度を取るからこういう目に遭うのだ」、と。

 

“ゆかり”
あれ?!これっていじめ?!?!

 

当時のことを覚えてないので、私自身がこういった嫌がらせについてどう思っていたかは定かではないのですが、両親が私に中学受験をさせたのは、こういった同級生達にプラスして、他の小学校の児童も同じ市立中学に進学するにあたって、嫌がらせ(いじめ?)を回避するためだったと、後に聞きました。

 

身体よりもファッションへ

閑話休題、容姿の話。

 

「黒人のハゲザル」と呼ばれていた私は、卒業アルバムの自分の顔を、春休み中に黒い油性ペンで全部塗りつぶしてしまいました。

 

とにかく色白になりたくて、中学に入ってからは自分の小遣いで美白効果のある洗顔料やら基礎化粧品を浴びるように全身に塗りたくる、でもさしたる効果はない、的な有様。

 

中学時代は部活に打ち込んでいたので、肌の色くらいしか気にしていませんでしたが、それでも中学の卒業アルバムで自分を見ると、「黒くはなくなったけど、なんか黄色い……」と不満を抱いていました。

 

もう一点、この頃嫌だったのが、自分の眼です。今は普通の二重になったのですが、生まれてから20歳くらいまで、私の眼はぽってり一重で、しかもまぶたが薄かったのか血管が浮いて見えていたのです。

それもコンプレックスで、一度はカッターでまぶたを切ったこともありました。

 

その後発病してからは、ファッションに目覚め、平日に独りでアメ横や原宿に行って安い古着を買ってカスタマイズすることによって、身体の見た目より、ファッションを楽しむようになったので、容姿に対する忌避感は薄れたと思います。

 

そうこうしている内に肌の色も人並みになり、自然と二重になりましたしね。

 

ですから、今は自分の容姿に不満があるとしたら、薬の副作用で25kg太ってすっかりスタイルが崩れたことのみです。ウォーキングで結構落ちましたが、この年になると痩せにくいというのはどうやら真理なようです。嗚呼、俺はウエストが欲しい。

 

 

まとめと次回予告

ゆかり
いつものことではありますが、ここまで書いたことはあくまでも「八壁ゆかりの場合」、ひとつの体験談です。

 

どうか、万人に共通していたり、「皆こうなんだな」とは思い込まないでいただきたく候。

 

さて、次回は最後の否定、ハッキリ言って『ラスボス』、「ジェンダーの否定」について書かせていただきます。それまで少々お待ちください。

 

では、最後まで読んでいただき誠にありがとうございました!!

 

連載シリーズ:八壁ゆかりの崖っぷちブルース

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矢壁ゆかり
病歴25年目突入のパンク主婦、物書き。 精神疾患を抱えたまま、高校不登校時に「そうだ、ニューヨークに行こう(永住的な意味で)」と思い立ち、全日制高校から通信に移り英語学校へ。卒業後、単身ニューヨークに飛ぶものの、病状の悪化で帰国を余儀なくされる。今でも英会話は得意。 主たる精神疾患は解離性障害とそれに伴う解離性健忘、最近は統合失調感情障害も加わった。健忘が酷すぎるので、「記録魔」そして「保存魔」として首都圏で名を馳せつつある昨今。 幼い頃から小説を書いており、新人賞でもかすりはするが一歩とか二歩とか及ばないのでそろそろ及びたい次第。記事一覧はこちら→八壁ゆかり


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病歴25年目突入のパンク主婦、物書き。
精神疾患を抱えたまま、高校不登校時に「そうだ、ニューヨークに行こう(永住的な意味で)」と思い立ち、全日制高校から通信に移り英語学校へ。卒業後、単身ニューヨークに飛ぶものの、病状の悪化で帰国を余儀なくされる。今でも英会話は得意。
主たる精神疾患は解離性障害とそれに伴う解離性健忘、最近は統合失調感情障害も加わった。健忘が酷すぎるので、「記録魔」そして「保存魔」として首都圏で名を馳せつつある昨今。
幼い頃から小説を書いており、新人賞でもかすりはするが一歩とか二歩とか及ばないのでそろそろ及びたい次第。記事一覧はこちら→八壁ゆかり

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