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自分の全てを否定していた過去を性自認の観点から振り返る!ジェンダー篇〜八壁ゆかりの崖っぷちブルース第14回

  • 最終更新日:
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前回は、「自分の全てを否定する」という思考の『名前』と『容姿』について書かせていただきました。

 

▼参考▼

自分の全てを否定していた過去 名前と容姿篇 | 八壁ゆかりの崖っぷちブルース第13回

 

そして、今回はついに23年間あがいた、自分のジェンダー、『女で在ること』に対する否定についてお話しさせていただきます。

 

23歳まで男になりたくて、とあるきっかけで『あ、女でもいいか』と思えるようになりまして、夫と出会って結婚までしたのですが、最近また「俺」とか「僕」とか一人称が揺れ始め、でも夫が許してくれるのでいいかな、と考えている昨今です。

 

ですが、それでも私は疑問に思うのです。女性として生きることにして、女性として男性とお付き合いし、もっと言えば女性として性行為にまで至っている自分が何故、今になってまた? と。

 

というわけで、まずはジェンダーの観点から見た私自身について振り返らせてください。

幼少期:「おとこおんな」と呼ばれて安堵する自分

私は、八壁家では、祖父母にとって初孫でした。

 

しかし、数々の酩酊レジェンドを持ち男尊女卑思想の強かった祖父は、初孫にも関わらず、女の子が産まれた、と両親が赤子の私を連れて行くと、

 

「前の川に投げ捨ててこい」

 

と言い放ったそうです。

 

そして弟が生まれると、弟ばかり猫かわいがりをしていたそうで、私の母は、この祖父の態度も私が男性になりたかった原因のひとつでは? と主張していました。

 

そして私が3歳の時の弟が生まれました。すると、親の証言によると、私は、

 

“ゆかり”
なんでゆかりにはあれがないの?!

 

と、弟の男性器を見て親に泣きついていたそうです。

 

まあ、当時は幼児ですから、基本、母親が買ったり作ったりする服を着ていたのですが、スカートはたまに拒否していたらしいです。

 

小学校に入学した時点で私は懊悩していました。

 

“ゆかり”
何故ゆかりは黒いランドセルじゃないんだ……?

 

今の若い世代の方にはもしかしたらピンとこないかもしれませんが、私の世代では、

 

「女子が赤いランドセル、男子が黒いランドセル」

 

というルールが全国展開されていました。

 

赤と黒のランドセル

 

さて、物心ついてから中学の2、3年まで、私の髪はずっとショートカットで、男言葉を話し、身体が小さく発育も良くなかった私はよく男子と間違えられたり、『おとこおんな』と呼ばれたりしていました。

 

それが私は嬉しかったのです。

 

また、学年の違う女子トイレに入った時、

 

「男子は入んないでよ!」

 

と後輩から罵声を食らいましたが、それは私にとって賛辞と安堵でした。

 

“ゆかり”
良かった、ちゃんと男に見えてるな。

 

といった具合に。

 

しかし、当然ですが、私にも成長記が訪れます。初潮やら月経痛やらなんか胸部がぷよぷよしてきたりだとか、ごくごくフツーに育ちましたよ。それはとても屈辱的なものだったと、当時から思っていました。

 

実は八壁にもあった、スクールライフ

中学時代は部活と少年マンガに夢中だったのですが、それ以前に、私は入学前から葛藤がありました。

 

“ゆかり”
制服のプリーツスカートです。

 

ハッキリ言って、はきたくなかったです。男子の制服を着たいと思っていました。でも、当時は今のように、女子用のスラックスなどありません。結局はくしか選択肢がなかったのです。

 

私の「男子みたいなしゃべり方をする変な奴」に対するパブリック・イメージは、荒れた地元で培われたスピリットで、恐怖の対象のようになっていきました。

 

男子と言い合いの喧嘩をした時、口汚く罵って泣かせたり、威嚇としてカッターナイフを取り出したら泣かれて逃げられたり(今冷静に考えるとフツーに恐いですね❤︎)。

 

そうこうしている内に成績は順調に下落、私は少年マンガを愛読するようになり、部活のメンバー以外とは、私のように『はみ出した』男子生徒たちとつるむようになります。本当に真面目な学校だったので、男子と行動を共にしているだけで『不良』扱いでした。

 

当時の友人らは、

 

「おまえは女子って感じしないから一緒にいやすい」

 

と言っており、私は「そりゃそうだ、男だもんな」と思っていました。

 

恋愛対象は男性だけど?

ここで重要な人物が登場します。まだ一般的に普及していなかったインターネットで出会った人物、ここでは「カエサル(仮名)」と表記させていただきます。

 

当時すでに洋楽ロックオタクになっていた私は、某バンドのファンサイトのBBS(掲示板、若い子は知らないかも)で知り合ったカエサルと意気投合し、一対一でのやりとりも増え、満を持して電話で話すことになりました。

 

「もしもし」

 

というカエサルの第一声を聞いた瞬間、私は「あれ?」と思いました。どう聞いても変声期を終えたかのような声で、しかしネット上ではカエサルは同い年の女子だと勝手に思っていたからです。

 

カエサルもまた、身体は女性だけど性自認は男性、という存在でした。

 

別に友人になるにあたって性別など気にしない私は、カエサルとたくさんのことを話し、その友情は2011年の東日本大震災まで続きました。カエサルも、私と同じように日本の社会で生きてはいけない、だからイギリスに行く、と移住準備を進めており、私もニューヨーク行きのための努力をしていました。

 

ですから、思想が似ていたというか一緒というか、共通項が多くあり、『そりゃ意気投合するわ』というくらい、まるで双子のような存在でした。

 

しかし、カエサルは、私以上に『男になるための努力』をしており、例えば乳房を削ぎ落とそうとしたり、常にさらしで乳房を締めて平坦なスタイルで過ごしていたり、その低い声も、努力の末に出せるようになったと言っていました。

 

“ゆかり”
俺はこいつほどじゃない、じゃあ俺はなんなんだ?

 

そういったジレンマのようなことも胸に抱きながら、私たちは親交を深めていきました。

 

灰色のスクールライフ 〜女友達皆無〜

一方高校では、ほとんど不登校だったり、登校しても『いわゆる不良』、先ほど言った『はみ出した男子たち』と行動を共にし、また、学校行事で知り合った先輩たち(こちらも全員男子)にかわいがってもらってました。

 

“ゆかり”
女友達は、いませんでした。

 

グループを作って、クラス内にカースト制度があって、一軍グループはあたかも女王様のようにすべてを仕切り、私のように影の薄い存在は最初から換算されていない・存在を認識されていないような空気感。

 

そして私が理解できなかったのは、「なぜトイレに一緒に行くのか」でしたね。今現在もこの風習が残っているかは分かりませんが、本当に疑問に思っていましたし、群れを作るのもそのグループ抗争も、正直アホらしいと感じておりました。

 

レインボーの旗とハートの絵

 

唐突な恋バナ

話が飛ぶようですが、私の恋愛対象はずっと男性です。しかし、ピュアに「憧れる」、「お付き合いしたい」と思うよりは、

 

“ゆかり”
むしろ俺があいつを(自主規制)したい。

 

と思う方が多かった気がします。

 

それを先述のカエサルに話すと、

 

「八壁くんはゲイなんやね」

 

と言われて、すとんと納得しました。そう、俺は男で、同性愛者として男性に恋愛感情を抱く性質。この考えは、23歳まで続きました。

 

しかし、何も知らない他者から見れば、私の身体は女ですし、好きになるのは異性。ヘテロだと認識されていたと思います。

 

ニューヨークは大好きだけど……

カエサルが渡英してから数ヶ月後、私もニューヨークに『移住』のつもりで乗り込みました。

 

今まで散々ニューヨークについて言及し、居心地が良かったと言っている私ですが、ひとつだけ、ちょっぴり嫌なことがありました。それは、レディ・ファースト文化です。

 

なお、カエサルと私は、ニューヨークとケンブリッジ間で文通をしていました。文通です。Eメールが使える時代にです。帰国後もカエサルとは一緒にカラオケに行ったりして、対面で遊んだのはほんの数回でしたが、本当に良い親友でした。

 

ニューヨークの街並みとアメリカ国旗

アメリカの美容院は酷いと聞いて

ニューヨークだけかもしれませんが、日本人コミュニティに出入りするようになると、皆が皆、口をそろえて、

 

「髪を切るなら日本人のサロンに行った方が良い!こっちではバサッと切られて終わっちゃう!」

 

と言うので、私も日本人の美容師さんを探したりしたのですが、なんだか途中で面倒になってきて、自分で切ってブリーチしてカラーリングまでするようになりました。

 

ここで男子化欲が加速します。

 

ゆかり
ぶっちゃけますと、ニューヨーカーの96%はダサかったのです。

 

そもそも体型が日本人と違いますし、肥満がデフォ。もちろん、体型に関わらずオシャレな人たちもいました。しかし、彼らはマンハッタンのダウンタウンくらいにしかおらず、しかも大半がアジア系でしたね(特に日本人は相当)。

 

ではこれがどう私の男子化欲求に繋がるかというと、髪をベリショにし、ジェルで短髪を逆立てていたのです。

 

まあ、ファッション自体は今ほどパンクではなかったのですが、バンドのTシャツを着ていたり、珍しいデザインのラバーソウルを履いていたので、街中で声を掛けられることは多々ありましたとも。

 

英語圏の生活において気楽だったことと、モニョったこと

皆さまご存知の通り、英語には一人称が「I(アイ)」しかありません。これには正直助けられました。「俺」、「僕」、「私」といった選択肢から解放されたわけですから。

 

ただ、ニューヨークやその他全世界各地の大都市では、絶対と言っていいほど「日本人コミュニティ」が存在します。そこだけに出入りしていると、英語力は全く上がりません。ですから、私は病院以外は現地人と同じ暮らしを選んでいました。

 

そこでまた、問題が発生します。

 

大学などでは、名前を名乗ればファーストネーム(前回言及した『Kerry』という英語のニックネーム)で呼んでもらえるのですが、たとえば銀行ですとか、そういったややフォーマルな場所に行くと、避けられないものがあります。

 

「Ms. Yakabe」と呼ばれてしまうのです。

 

「ミス」、「ミス」です。ミスコンのミスです。もし既婚者であれば“Mrs. Yakabe”「ミセス」です。

 

“ゆかり”
めっちゃ女やないかぁ〜い!

 

また、私はティーンエイジャーだったので呼ばれたことはありませんが、年を重ねた女性、あるいは地位の高い女性、またはおふざけで、こんな風に呼ばれることもあります。

 

“ma’am”

 

発音は「マァム」ですが、これ、「マダム」の略称なんです。

 

“ゆかり”
無理無理無理無理!!!

 

と、全力拒否したいです。これは今もです。

 

そして、私はメンタルが爆発四散し、大学を休学して、帰国します。

 

帰国の経緯は、別記事で。

 

▼参考▼

私が自傷行為をやめたキッカケ!原因や接し方を語りたい 〜自傷15年史から得たヒント〜

 

相当アメリカナイズドされた俺 in 閉鎖&解放病棟

私は、2度入院経験があります。最初は、これから言及する閉鎖病棟への入院です。

 

病院の廊下の写真

ニューヨーカーのKerryは日本では危険人物

帰国後、自傷行為が激しかった私は、東京都内の閉鎖病棟に医療保護入院として入りました。

 

それはともかく、最初は比較的軽度の患者さんが多い男女混合フロアに入りました。理由や情報ソースは不明でしたが、「アメリカ帰りで英語喋れる奴が入ったらしい」ということがすでに流布しており、重たい施錠音を背に受けて荷物チェックを済ませた私に、数名の男女が寄ってきました。

 

彼らとは英語交じりで楽しく会話しましたが、ここでアメリカナイズドされたワタクシってば、日本なのに日本人らしからぬ暴挙に出てしまいます。

 

  1. ノーブラにショーパン姿で廊下やデイルームを練り歩く
  2. 女性患者であろうと男性患者であろうと構わずハグをする
  3. ニューヨークの喫煙可能年齢は18歳なので、躊躇なく喫煙する
  4. 男性患者とばかり仲良くなってしまう

 

これに対して、誰かがクレームでも言ったのか、病院側が危険視したのか、真偽は不明ですが、私は女子病棟に移されました。

 

ゆかり
正直に白状いたしますと、この病棟には1週間しかいれませんでした。

 

色々あったのですが、最終的に私は親に泣きながら「出してくれ」と懇願し、退院しました。

 

本当に死を覚悟した経験でした。安易にこの単語を使うのはいかがなものかと思いますが、それでも私にとってあれは「トラウマ」となり、その当時聞いていたアルバムは2年間、フラッシュバックを起こすため聞けなくなりました。

 

解放病棟ならまだマシかと思いきや

2度目の入院はこれまた都内の開放病棟でした。当時はまだ今ほど喫煙者に対する迫害がなかったので、敷地内の喫煙所によく行っていました。

 

しかし。

 

“ゆかり”
開放病棟なのに、私は喫煙所以外に外出できなくなりました。

 

他の患者さんは、体力維持のためウォーキングに行ったり、近所の大型ショッピングセンターまで行って遊んでいたりしたのですが、私は当時抑鬱状態がデフォルトでしたので、外が恐かったのです。

 

そこは非常にユニークな病院でしたが、とある新規患者さんが入ってくると、ほぼ全ての患者さんがその患者さんをめぐってバチバチと取り合いっこを始めたのです。

 

ここではその方の名前を「クルくん(仮名)」と表記させていただきます。

 

クルくんは、ハスキーボイスで、身体全体が色白、無精髭を生やした顔に眼の大きな顔が印象的な患者でした。

 

しかし、クルくんには、乳房がありました。

 

言うまでもなく彼は、ホルモン療法を受けているトランスジェンダー、FtM (Female to Male=女性ではなく男性)だったのです。

 

ルックスの良さやそのフランクなパーソナリティから、クルくんはすぐ病院のアイドル的存在になりました。朝昼晩の食事時には、誰がクルくんと同じテーブルに座るかで、もはや水面下の戦争状態。

 

私は、その時すでに、『女でもいいか』という状態だったのですが、まだ「女子化計画」を発動していない時期で、洋服もメンズのものが多かったり、髪も短かったです。

 

するとある日、デイルームでくつろいでいた私のところに、クルくんがやってきました。正直、仲良くなって他の患者さんの嫉妬を買ったら嫌だな、と考えていたのですが、クルくんは予想外の言葉を発しました。

 

「なあ、あんた、俺と同類だろ。見れば分かる」

 

これにはおったまげました。マジで。

 

「見れば分かる」、とは……?と戸惑いましたが、深く話を聞こうにも、クルくんにはもはや親衛隊のようなファンがおり、機会がありませんでした。

 

そしてクルくんが転院する際、以下のようなメッセージが書かれた紙を渡されました。

 

「男だろうと、女だろうと、俺らはみんな同じ『人間』だ。

だから安心して、自分らしく生きろよ」

 

以降、クルくんとはまったく連絡を取っていませんが、このメッセージは私の中で大きく響きました。

 

「女子化計画」発動!両親がドン引きするレベルで女性化

解放から出てほどなくして、私はクルくんの言葉を胸に刻んだ上で、「女子化計画」と銘打って、多くの女友達に助けられながら、女子らしい格好やメイクをしていくようになりました。

 

具体的には、まず「俺」という一人称を、ネット上でもリアルでも「私」に変更。次に、『ナベシャツ』と呼ばれる、乳房を潰す特殊な下着の着用も辞め、しかしブラジャーには抵抗があったので、きつめのタンクトップを着て、まあちょこっと胸あるね、程度にしました。

 

そして洋服は、数名の友人に選んでもらいました。

 

何しろメンズの、しかもパンク系の格好をしていたので、女性向けファッション雑誌もどれを読めばいいのか分からない有様。多くの友達が、花柄のシャツや、当時流行っていたスカート(orショートパンツ)+レギンスというコーディネイトを教えてくれたので、一度、その状態で一日過ごしてみたところ、帰宅した父親が私を見て、

 

「おお!なんやギャルがおる!!」

 

と叫びました。おそらく親父的には『ギャル=女の子』なのでしょう。

 

あとは化粧ですね〜。コスメマニアの友人や母親にアドバイスをもらい、しかし内心では、

 

“ゆかり”
うわ〜俺、今マジ女装してるwww

 

と、半ば面白がって、もしくはサプライズ的に、友人に会いに行ってビビられる、という反応を楽しんでいました。

 

女子会イメージファッションコーディネートの写真

「どう見ても女の子だよ」なのに……

この頃から、私の女子化計画が、ある種の強迫観念のようになっていきました。髪を刈り上げたりせず、なんと背中のアンダーバストくらいまで伸ばし、年齢&性別に相応しい外見にならなければ! と暴走し始めたのです。

 

周りの人々は、

 

「もうゆかりはどう見ても女の子だよ」

 

と言ってくれていたのですが、私は、伸ばした髪を切るのが恐くなりました。

 

そんな折り、夫に出会い、彼が、

 

「髪の長さが違っても、八壁さんは八壁さんですよ」

 

と言ってくれたので、ショートボブくらいに思いっ切りカットし、交際を始め、1年後に結婚しました。女性として、男性と、です。

 

やっぱ俺は俺であり、八壁ゆかりであるのだ

ゆかり
長々と書きましたが、やはり私は私で、俺は俺で、僕は僕で、八壁ゆかりは八壁ゆかりなのです。

 

開放病棟でクルくんが言ったように、誰だって『人間』であることは変わりません。

 

ここ数年、また男性っぽい服装をして、しかしブラジャー着用&メイクもする、でも髪は逆立てたりツーブロックだったりする私ですが、『自分らしく』生きて、さらに言えば『自分らしく老いて』いきたいです。

 

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

 

連載シリーズ:八壁ゆかりの崖っぷちブルース

 

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矢壁ゆかり
病歴25年目突入のパンク主婦、物書き。 精神疾患を抱えたまま、高校不登校時に「そうだ、ニューヨークに行こう(永住的な意味で)」と思い立ち、全日制高校から通信に移り英語学校へ。卒業後、単身ニューヨークに飛ぶものの、病状の悪化で帰国を余儀なくされる。今でも英会話は得意。 主たる精神疾患は解離性障害とそれに伴う解離性健忘、最近は統合失調感情障害も加わった。健忘が酷すぎるので、「記録魔」そして「保存魔」として首都圏で名を馳せつつある昨今。 幼い頃から小説を書いており、新人賞でもかすりはするが一歩とか二歩とか及ばないのでそろそろ及びたい次第。記事一覧はこちら→八壁ゆかり


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病歴25年目突入のパンク主婦、物書き。
精神疾患を抱えたまま、高校不登校時に「そうだ、ニューヨークに行こう(永住的な意味で)」と思い立ち、全日制高校から通信に移り英語学校へ。卒業後、単身ニューヨークに飛ぶものの、病状の悪化で帰国を余儀なくされる。今でも英会話は得意。
主たる精神疾患は解離性障害とそれに伴う解離性健忘、最近は統合失調感情障害も加わった。健忘が酷すぎるので、「記録魔」そして「保存魔」として首都圏で名を馳せつつある昨今。
幼い頃から小説を書いており、新人賞でもかすりはするが一歩とか二歩とか及ばないのでそろそろ及びたい次第。記事一覧はこちら→八壁ゆかり

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