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精神障害の当事者が語る!「障害者扱いをする」という第二の差別に注意

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車いす

当事者で在るとともに、支援スタッフでもある私は、長い間、精神障害者の接し方について考えてきました。それは当事者としての怒りであるとともに、支援者としての気づきでもありました。

 

夏目
精神障害者は、誰かの助けを借りることを必要としています。

 

だけど、それと同時に、自力でやりたいとも強く考えています。

 

障害者というと、やはり優しく接しすぎてしまうこともあるかと思います。ですが、それが逆に障害者への第二の差別になってしまうこともありますので、ご注意ください。

 

一人の「できる人」として接してもらいたいと考えています。そのことを少し書こうと思いますので、精神障害をお持ちの方々と接する際に参考にしていただければ幸いです。

精神障害者が生き直すという事

夏目
まず、第一に知ってほしいことは、精神障害者は、誰かの手を借りることをためらうということです。

 

それは、病気になる前の自分が頭の中に存在していて〝病気にかかってしまった今の自分″と同居しているからです。

 

病気になる前の「できる自分」と病気にかかってから、当たり前のことも「できない自分」その不自由さ、不安と苦しみも本人を苛み、誰かの手を借りる自分を許せない時があるのです。

 

だからこそ、「できる人」として接せられることが一つの尊厳でもあるのです。

 

私自身は進学校から国立大へと進んで、野球や陸上に打ち込み、エネルギッシュな人生を送っていました。しかし、精神病になることで、人生について大幅に考えを変更せざるを得ませんでした。

 

それは、良い意味で言えば「生き直す」ことであったし、優しさを持ったり、新たに好きなことと出会ったりすることでもありました。

花

精神病になった人にしかわからない気持ちもある

私は病にかかってからは、以前ほど会社で出世をし、階級を登ることに興味を抱かなくなり、自然のなかでの心豊かな生き方や、新しい働き方に目を向けるられるようになりました。

 

以前はそれほど気にしていたかったけれど、他人の不調を気にかけたり、気づいてあげたりとできるようになったこともあります。

 

  • それでも、昔のように強くない
  • できないことも多い

 

夏目
そんなプライドが、人の手を借りることに抵抗感を示し、そして怒りに繋がってしまう。

 

できない自分。

当たり前のようにできる他人。

当たり前のようにできた自分。

 

悲しさと怒りのない交ぜになった感情は、病気になった人でないと解らないものだと思います。私は会社での仕事に成功し、出世街道を登っていく人生から一旦降りました。

 

そして、地上をゆっくりと歩くスピードで進む人生に切り替えました。

 

多くの人の援助を借りて。

 

その気持になった背景については、こちらの記事でも紹介させていただいております。

 

『メンタルを安定させるマインドセット|等身大の自分の課題と向き合おう』

 

人間にとっての尊厳とは

そうした中で最も嬉しかったことは、多くの人が、病気と病気でない人という境を超えて、「自分を自分」として見てくださったことです。

 

夏目
私は、自分は病気から立ち直ったと思っていますし、再び夢を持って、元気いっぱいに生きたいと思っています。

 

自分はもっとできると思っています。しかし、「障害者」としてのスティグマ、「障害者」としての枠に押し込められる接し方をされてしまえば、途端に自分の世界を狭めてしまうでしょう。

 

そう接する人からすれば、苦しんでいる人を立ち直らせよう、守ってあげようという気持ちからなのかもしれない。しかし、疾患を持つ人でも、「失敗」をするなかで学ぶことがあります。

 

「失敗する可能性」を認めることから自由が始まり、自由の中に自立が存在しえます。もちろん、私たち疾病を持つ人たちは優しさを求めています。

 

差別されたり、冷たくあしらわれたり、侮蔑されたら、病気は再発する可能性を持っています。

 

しかし、優しく包むように接するだけが優しさではなく、それをさらに一歩進めて、自立した人間として接することも優しさに含まれると私は感じています。

 

そして同時に、切に願っています。

 

夏目
病気はあくまで、私たちの一部でしかなく、全体ではありません。

 

 

病気であるのは精神の一部分であり、多くの部分は健康で、前と同じように動いています。そして、僕たちはどんな人とも同じように、支えを必要としていると同時に、自立的に生きることを求めています。

 

夏目
自立的に生きることが、人間にとって最も大きなー尊厳ーだと思います。

 

ただし、多くの人の愛のなかで。

 

精神病を抱えていてもいなくても同じ

人は全て自分ですることができないでしょう。それは「非精神疾患者」であっても同じだと思います。私たちはその「自分でできない部分」が「非精神疾病者」よりも大きいのです。

 

しかし、また「できる部分」もしっかりとあるのです。

 

夏目
想像してみてください。

 

例えば、高齢になったとき、自分が「おじいさん、おばあさん」扱いされたらどう思うでしょうか?

 

外国に行ってつたない英語をしゃべっていたら赤ちゃん言葉で話しかけられたらどう思いますか?

 

思春期のときに、小学生扱いされたらどう思いましたか?

 

例えば、妊婦になったとき、あまりにも単純で簡単すぎる仕事が回ってきたらどうでしょうか?

 

こういった現象は社会一般に広く見られると思います。

老人夫婦

精神障害者への優しさとは

私たちが、求めている接し方は、まず、謙虚であって欲しいということです。目線が同じ人の優しさは受け取りやすいのです。

 

そして、「傾聴」をしてくださる人間にはなんでも話せます。相談したら、ただ静かに寄り添ってくださる。

 

決して、注意やお説教をして自分を変えさせようとはしない。そんな支援スタッフや家庭ばかりだといいと思います。

 

でも、その優しさが押し付けになってはいないでしょうか?

 

「メサイア・コンプレックス」という言葉が福祉にはあることはご存知でしょうか。支援者がいつのまにか「救済者」のような自己像の妄想に取り憑かれることをさす言葉です。

 

そんなとき「優しさ」は「押し付け」に変わるのだと思います。どうか、「クール」にいてください。

 

障害者扱いでの過保護はNG

そしてどうか、過保護にはならないで欲しいと思います。

 

支援者が過保護になった時、要支援者は「怠けられる」と思うと同時に、そこからアンビバレントな気持ちが始まります。

 

必ず、後から

 

「果たして自分はそのままでいいのか」

「自分は自分でやられるはずなのに」

 

という気持ちが芽生えてくるのです。

 

そして、その表現の手段として、保護する側に反抗したり、攻撃的になるのです。自分の人生の「犯人」として扱うようになりかねません。

 

ときには、ずっと昔の、昔のことにまで遡って。だからこそ、批判するでもなく、優しさや同情から「できない人」と扱うのではなく、提案して欲しいと思います。

 

できないところを羅列するのではなく、なにか、意味のある情報や知識をひとつずつ教えて欲しいと思います。

 

どんな人でも同じです、自分の人生、自立的な人生にとって必要なことを教えてくれたら、それは受け入れることができるのです。

 

青空

精神障害の当事者として伝えたいこと

夏目
これだけは伝えておきたいことなのですが、精神疾病者でもそうでない人も同じなのです。

 

そして、支援者自身が「自立」していて欲しいのです。

 

支援者が支離滅裂な行動を取っていたら、言葉にしようのない怒りと不条理さを感じ、自己都合のため、あるいは共依存ゆえに自分を動かしていると要支援者が感じてしまえば、そのアンビバレントな気持ちはたやすく絶望感や憤怒へと駆り立てます。

 

注意するよりも、見守ることを重視して欲しいと思います。注意することで改善されることもありますが、【注意は治療ではない】ことを知っていて下さい。

 

支援者の行動は人格や怠けのせいではなく、脳内のバランスの崩れによるものなのです。

 

精神障害の当事者から最後に

夏目
お金は自分で働き、自分で使う!

 

やはり、病気の人は繊細であり、助けを必要としています。押し付けがましくなく、「保護」することも時には必要なのです。

 

ですが、パターナリズム、父性的に、自己判断で本人に危害が加わるときは、積極的にとめて欲しいのです。

 

例えば、金銭が絡む場面や職選びには、ある程度の保護者の視点も必要になってくると思います。

 

夏目
障害者であっても、一人の人間です。経済的な自立もしたいと思っています。

 

ここで、保護者と当事者の長い闘いが始まります。当事者は経済的自立もしたいと考え、保護者は金銭的な自由をさせないようにと考えがちです。

 

最終的に、自分で稼ぎ、自分で使うようになるまでは、少額のお小遣いを自主管理するのが私は良いと思います。

 

稼いでも、クレジットカードや大金は持たせないのが安全だと思います。しかし、自分で働き自分で使う愉しみをどうか奪わないであげて下さい。

 

皆様の幸運を願って。

 


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夏目作弥

精神疾患の当事者であり、福祉業界で働いています。当事者と支援者を両方、経験している立場から、旧弊から解放された考え方を綴っています。患者の自由、自主性を尊重し、強みを活かし、地域で生きていくことを理想とするという考え方が基本にあります。「ささやかだけど大切なこと新聞」というエッセイを作業療法室で連載しています。しょうがい者を生み出し、しょうがい者に辛い資本主義のありかたを根本から見直すべきだと考えています。芸術療法、詩歌療法、マインドフルネスウォーキングを取り入れています。座右の銘は「人生の意味は素敵なことをすること」「働けば魂は磨かれる」。


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