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発達障害の当事者が感じるSNSの「当たり前」|誹謗中傷の前に少しだけ立ち止まってみて

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SNSの『当たり前』 少しだけ立ち止まってみて」というメッセージが書かれた画像。右側には、スマートフォンを操作する手と開かれたノートパソコンが映る写真が配置され、デジタル環境での情報発信やSNSの利用を示唆している。背景は白とターコイズブルーのデザインで、シンプルながらも目を引くレイアウト。

今や、国民の誰もが利用しているといっても過言ではないSNS。有益な情報もたくさんありますが、「なんとなく嫌な感じがしたこと」、ありませんか?

 

直接的な悪口じゃなくても、ちょっとした言葉や空気感で、「それ、もしかして……」とモヤモヤすることも。

 

私は、発達障害と吃音を抱えながら、日々を過ごしています。同じような特性を持つ人たちと関わる中で、SNS上での誤解や無自覚な偏見に出会うこともありました。

 

この記事では、SNSという場所で起こる障害や病気への偏見や誤解について、ちょっとだけお話しさせてください。怒ったり、強く訴えたりするつもりはありません。

 

ただ、「それって偏見かも?」と気づいてもらえるきっかけになればうれしいです。

 

ジュン
自分も障害に対する偏見を多くみてきた、感じてきたことを伝えられればと思います。

SNSに潜む“障害への誤解の種”

白い背景の上に置かれた黒いルーペ。そのレンズ部分には赤い文字で「バイアス」と書かれている。偏見や先入観を強調するイメージで、物事を注意深く見つめる必要性を示唆している。

 

SNSは、誰もが気軽に発信できる便利な場です。


その一方で、「ちょっとした言葉」や「共感を得るための投稿」が、無意識の偏見や誤解を広げてしまうこともあります。

 

たとえば、障害や病気を取り上げたニュースに対するコメント欄では、このような反応をよく目にします。

 

ジュン
表現が違っても似たようなものを見たことはあるのではないでしょうか?

 

よく見かける「障害への偏見や誤解」の例

表現例背景にある誤解や偏見
「発達障害?ただの言い訳でしょ」→ 本人の努力不足・怠けと結びつけられてしまう。
「精神疾患の人って危ないんでしょ?」→ 事件報道と結びつけ、不安視されがち。
「配慮を求めすぎるのもおかしい」→ 支援や合理的配慮を“わがまま”と受け取られることがある。
「昔はそんな言葉なかったのに」→ 時代や認識の変化を無視した発言。

 

SNSの種類に関係なく、こうした言葉は形を変えて何度も拡散されています。


でも、「よく見かける」=「正しい情報」ではありません。

 

これらの発言は、必ずしも悪意のある中傷とは限りません。多くの場合、その背景には「知らない」「なんとなく不安」といった感情があります。


けれど、本人や家族にとっては、何気ない一言が“自分を否定された”ように感じられることもあります。

 

SNSは情報を広げる力を持つ一方で、誤解やレッテルもまた、あっという間に広がってしまう場所です。だからこそ、発信する側も、受け取る側も、ほんの少し「立ち止まる」意識が大切なのだと思います。

 

伝えることが“前に進む”きっかけに

木製ブロックに「OUTPUT」と書かれ、その上に4体のミニチュア人形が立っている。右側には、黄色い電球のイラストが配置され、アイデアや知識の発信を象徴している。背景には木目と緑の葉があり、自然な雰囲気を演出している。

SNSで障害や病気に関する話題を目にするとき、私は少し身構えるクセがついてしまいました。なぜなら、「努力が足りないだけでしょ?」という声や、「また精神障害者が…」という心ないコメントを、何度も見てきたからです。

 

私は発達障害と吃音があります。
どちらも、自分で完全にコントロールできるものではありません。


それでも、まるで“怠け”や“問題を起こす存在”のように語られてしまうとき、言葉にできないモヤモヤが胸に残ります。

特に、事件のニュースが流れたあとのSNSや掲示板では、「障害者=危ない」という誤ったイメージが、簡単に拡散されてしまうことがあります。


一部の人には、何を言っても伝わらないかもしれない。でも、そういう声があまりにも大きいと、それを信じる人が少しずつ増えてしまうのではないか。そんな不安も、私は抱えています。

 

一方で、希望を感じたこともあります。専門家がSNSで丁寧に誤解を解こうとしている姿や、当事者自身が思いを発信しているのを見かけたとき、「ちゃんと声をあげる人がいる」と感じられて、少し救われてもいます。


ただ、それでも「届いてほしい人に、なかなか届かない」というもどかしさも。

 

私は今も、毎日が楽なわけではありません。障害を抱えていることで、苦しさやしんどさを感じる瞬間はたくさんあります。


でも、心のどこかでは「誰かが、ほんの少し浮き上がれるきっかけを持てたらいい」と思って、こうして言葉を綴っています。障害をオープンにできない人もいると思います。


それでも、自分の中で「ちょっと前に進めた」と思える瞬間があるだけでも、人は救われる。そう信じて、私はこの文章を書いています。

 

ジュン
すぐに世界は変わらないかもしれないけれど、誰かの中で“何か”が変わるかもしれない。だから私は、発信することをやめたくないのです。

 

怖い”と“わからない”は、隣り合わせ

白い背景の前に立つ木製の人形が、両手を広げて肩をすくめるポーズを取っている。まるで「分からない」「どうしよう?」といった疑問や困惑を表現しているような姿勢。意思決定の迷いや、曖昧さを示すイメージとして使われることがある。

偏見や誤解の多くは、「知らないこと」から生まれるのだと思います。


発達障害も吃音も、たとえば一緒に過ごしてみれば「そういう特性なんだな」とわかってもらえることが多いのですが、SNSではそういった“体験を通じた理解”の機会がほとんどありません。

 

人は、知らないものを「怖い」と感じがちです。それはある意味、自然な反応でもあります。


でも、そこから「迷惑」「危険」などとレッテルを貼ってしまうと、本来なら理解できるはずの距離が、かえって遠ざかってしまうのではないかと感じています。

 

たとえば、吃音についても、「言いよどむ=緊張している」と誤解されたり、「ちゃんと話せないのは自信がないからでは」といった反応をされることがあります。けれど、当事者にとっては、自分の言葉が“詰まる”こと自体が苦しみの一つであり、そこに「評価」や「心構え」を重ねられるのは、つらいものです。

 

SNSでは、短い言葉がすぐに流れていきます。誰かが発した誤解や決めつけの言葉が、「共感」や「いいね」で広がってしまうことも。


それに反論するのは、とてもエネルギーがいることです。だからこそ、「全部を理解しようとしなくても、“わからない”と立ち止まってくれるだけで違う」と私は思っています。

 

「わからないままでも、否定しない」
そんな距離感のやさしさが、SNSにも、社会にも、もう少し広がっていってほしい。

 

ジュン
人の立場になって、これが基本です。

 

炎上を避けつつ、やさしく伝えるには?

白い封筒が、レース模様の背景の上に置かれた白い装飾フレームの上に載せられている。周囲にはレースの花飾りや、ユーカリやラベンダーのようなグリーンと紫の花が添えられ、上品でエレガントな雰囲気を演出している。招待状や手紙、特別なメッセージを連想させるイメージ。

 

SNSは、思ったことをすぐに言葉にできる便利な場所です。けれど同時に、それが「誰かを傷つける」可能性と常に隣り合わせにあります。

 

私は、自分の特性や感じたことを発信するとき、「どう伝えたら届くだろう」「角が立たないだろうか」と何度も文章を見直します。それは、炎上を恐れているからというよりも、「相手を責めない形で、自分のことを理解してほしい」という気持ちがあるからです。

 

ですがこうした慎重さは、発信する人にばかり求められがちです。


一方で、受け取る側は「読むだけ」「反応するだけ」と思っていることも多く、言葉の背景にある思いや事情に、目を向けないこともあります。

 

たとえば

  • 「怒ってないのに、どうして強く聞こえちゃうのかな?」
  • 「説明したつもりだけど、もしかして伝わってないかも?」
  • 「言葉を選んだつもりだけど、それでも誰かを傷つけたかな……」

 

発信する側が悩みながら書いた言葉を、「自分に関係ない」「過剰反応だ」と一蹴されてしまうのは、とても苦しいことです。

 

だからこそ、私たちはお互いに少しずつ、SNSでのやりとりのあり方を見直していけたらと思います。

 

  • 書く側は、「伝えたいこと」と「言葉の印象」のバランスを考える。
  • 読む側は、「この言葉の裏に、どんな事情があるんだろう」と少しだけ想像してみる。

 

それだけで、SNSはもっと安心して言葉を交わせる場所になる気がしています。

 

ジュン
タイトルにあげた通り、反応する時はまず一呼吸おいてみませんか?

 

障害をわかってほしいとは言わない。でも気づいてくれたら

私は、すべての人に障害や病気のことを理解してほしいとは思っていません。それは、きっと難しいことだから。


経験も立場も違えば、感じ方も受け止め方も違って当然です。

 

でももし、SNSで見かけた誰かの言葉に、「なんだか違和感があるな」「ちょっとモヤッとするな」と感じたとき、ほんの少しだけ、立ち止まってみてくれたら。それだけで、世界は少し変わるような気がします。

 

誰かが話している「困りごと」や「生きづらさ」に


「それって甘えじゃないの?」

 

と決めつける前に、「そう感じる理由があるのかもしれない」と思ってくれる人が少しずつ増えたら、言葉の空気は、きっともっと優しくなる。

 

私は、自分の発信が大きな影響力を持っているとは思っていません。でも、一人の声が、誰かの「偏見じゃないかも?」という気づきになるなら、それだけで意味があると思っています。

 

SNSは冷たく感じることもあるけれど、言葉がつながれば、ちゃんとあたたかさも届く場所だと信じています。

 

今日も発信を続ける誰かが、誰かの無意識の壁を、そっとやさしくノックできていますように。

 

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久田 淳吾

発達障害(ADHD・ASD)と吃音を抱える40代男性。今まで発達障害の事は知らずに生きてきたが、友人の話を聞いて自分にも当てはまる事が多すぎる事を実感し、病院にて診断を受けると見事に発達障害との認定を受ける。自分に何ができるかと考えた時、趣味の写真でプロの先生に話を聞く機会があり、吃音が強く出ていたことに気がついた先生が『君は吃音持ちだね。だったら吃音の方の気持ちがわかるはず。それを活かして吃音の方の気持ちがわかるカメラマンになったらどうか』という言葉を思い出し、発達障害者として同じ気持ち、舞台に立てる人間として趣味のカメラ、動画編集技術を活かして情報発信をする事を決意。


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