精神疾患という目に見えない病気と戦う時、「一体何の病気なのか」、つまり診断される『病名』は良くも悪くもとても重要な要素のひとつです。
たとえばあなたが「うつ病である」と精神科医に診断されたとしたら、あなたはどうしますか?うつ病について調べたり、勉強したりして、少しでも自分の問題を理解して回復しようと思う方が多いかと思います。
しかし、ある日突然「いや、統合失調症だよ」、と言われたとしたら、あなたはどう思うでしょう?
「今までの努力と治療は何だったんだ?」と呆然としてしまうかもしれません。あるいは、すでにそういった体験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんね。筆者は、それの繰り返しに近い形で、病歴22年目に突入いたしました。
本記事では、この精神疾患における「病名ころころ変わりすぎ問題」について、筆者の実体験を基にお話ししていきたいと思います。少しでも多くの人のお役に立てば幸いです。
お好きなところからお読みください
精神疾患の診断で病名ころころ変わりすぎたエピソード
まずは、私自身の「病名ころころ」についてお話しいたします。
結論から言いますと筆者は、
- 不安神経症
- 境界性人格障害
- 解離性障害
- 性同一性障害
- うつ病
- 統合失調感情障害
と6つの診断をされた経験があります。エピソードを流れでお伝えしますので、少々お付き合いくださいませ。
精神疾患の発病時
私が最初に不安&パニック発作に襲われたのは、15歳の時でした。心療内科では当時の名称で言う「不安神経症」と診断されました。
私は服薬を開始し、カウンセリングも受けながら、インターネットもSNSもなかった時代、図書館などで『勉強』しました。
そして高校卒業後、ニューヨークに(永住するつもりで)単身乗り込みました。自傷行為は続いていたものの、頓服薬は持たせてもらっていたので。
ところが私の自傷に気づいた医者にセラピストを紹介され、その方との面談の後、
「あなたは不安神経症なんかじゃないわ。境界性人格障害よ!」
とばっさり言われてしまったのです。
私はすぐさま境界性人格障害について調べました。確かに、自分の症状や特性に当てはまっていました。
と悔しい気持ちでいっぱいになりました。
と思いながらも、病状の悪化で帰国しました。
精神疾患の病名デパートとなる
帰国後、入院先の病院で、今度は「解離性障害」という別の診断を受け、10代からあった記憶障害については「解離性健忘」と言われました。そして、幼い頃からの悩みであった性自認については、「性同一性障害の疑い」という判断を下されました。
その後、病院を転々としながらも、「最低でも解離性障害はガチ!」と確信し、カウンセリングを受けたり、様々な薬物治療を続けましたが、回復らしい回復は見えませんでした。
それでも良き理解者である夫と出会い、私は夫と共に上京しました。今の主治医に落ち着くまで、一年以上かかりました。まず解離性障害を専門に診られるドクターが少ない、というのが理由ですが、それについては、また別の機会にお話ししたいと思います。
現在の主治医は、「明らかにうつ病も併発している」と断言しました。これには正直驚きました。うつの友人は多く、症状も大体知っていたつもりで、自分も抑うつ状態になることはあっても、「うつ病」の範囲内に入るレベルだとは思っていなかったからです。
主治医の治療で、少しずつですが私は回復傾向に差し掛かりつつあります。しかしそれは今年に入ってからのこと。
去年までは、10代後半から20代半ばまであった症状の「幻聴」が復活し、願わくばこれで最後になって欲しい病名、「統合失調感情障害」が追加されたのです。
精神疾患のセカンド・オピニオンと自己勉強
「セカント・オピニオン」という単語が一般化してきてしばらく経ちますね。現状の医者の治療や診断に疑問を抱いた際に、別のドクターの意見を伺うのは、誤診や治療法の見直しになるいいきっかけです。
しかし、ここでも「病名ころころ」状態が起こり得ることは、あらかじめ覚悟しておいてもいいかと私は思います。冒頭に例として書いたように、まったく別の診断を下される可能性もあるからです。
精神疾患のセルフチェックによる思い込み、拘泥の危険性
よくWEB上で、様々な精神疾患の「セルフチェック」がありますよね。「この項目の内、◎個当てはまったらあなたは**病かも!」といった類のものは、有象無象、昔から多く存在していました。
しかし、これらはあくまで『可能性』の話です。こういったセルフチェックで
と思い込んでしまい、医者の診断すらない状態で自分を追い詰めてしまった人を、私は複数見てきました。
もしくは、そういったセルフチェックのみならず、特定の『病名』に拘泥し、あるいは「僕・私は**病だから〜云々」と、少々耽溺してしまう若者たちも、少なくとも私の時代は存在しました。
すべてのセルフチェックの存在を否定するわけではありません。そういったきっかけで病院に赴き、然るべき対処を受け、生きづらさを軽減できるケースも多いはずです。
しかし、特定の『病名』に固執してしまうと、冒頭に書いた例のように、セカント・オピニオンなどで別の『病名』を告げられた時に、柔軟に対処できません。
セルフチェックやそれに準ずるものは『目安』であり、『絶対ではない』、という前提のもとで有効利用していくべきだと、私は考えます。
ライターのおはぎさんもうつ病診断のチェックシートについての危険性について、説明いただいております。
自身の精神疾患について『勉強』することの是非
「不安神経症」、「境界性人格障害」について、診断された時は自力で勉強し、どういった病気でどういった原因で、どういった治療法が有効でどういった努力をすればいいか腐心してきた、と言いましたが、現在私はそれを行っておりません。
精神疾患に関わらず、すべての病気について、すべての患者には、その疾患・病気について知る権利があると私は思っています。しかし、ことメンタルの病気の場合、メリットとデメリットがあることを、私は身を以て体験しました。
たとえば「境界性人格障害」から「解離性障害」と診断名が変わった時、私はとても戸惑ったことを覚えています。前者についてたくさん勉強し、
という思考から、
という『思考の逆転』状態だったのに、それが突然、別のものに取って代わられたのですから、戸惑いも当然です。『どんな症状があるか』、『どんな治療が有効か』、といった情報は、知っていて損はないと思います。
しかし、上に挙げた『思考の逆転』状態は不健康ですし、最悪治療を阻害しかねません。自分のアイデンティティを『病名』に預けすぎないよう、気をつけたいものです。
今この瞬間と、中長期的視点
最後に、私が今現在自分の疾患について『勉強』していない理由をお話しします。
一つ目は、今の自分に一個の『病名』の知識は必要ないと思ったから。そして、原因である『病名』よりも、『今ここにある苦しみ』を軽減させる方法を模索する方が、私の場合は有効だ、と判断したからです。
もちろん、『今の苦しみ』だけ見ていても動けないので、同時に中長期的視点も持つよう心掛け、その両方を見比べながら、日々生活しています。
身も蓋もない言い方ですが、『病名』は書類上のカテゴリとも呼べます。ひとりがひとつの病気を持つ、というわけではありませんし、特定の病名では障害基礎年金が受け取れない、なんてこともあります。
アメリカ精神医学会が発表する「DSM」という診断マニュアルがあるのですが、日本でも多くの精神科医がそれを参照している印象を、私は抱いています。
しかし同時に、WHOが出している「ICD」という、精神のみならず全ての病気を網羅するデータベースのようなものがあるのですが、DSMとICDは必ずしも一致しません。
こういった観点から見ると、『病名』の重要性が少し揺らいでしまいますね。しかし、これを自分自身の『目安』や『傾向』として、有効利用することは、決して無駄ではありません。
まとめ:「病名というラベル」と折り合いをつける重要性
さて、精神疾患の領域における『病名』について色々書かせていただきましたが、いかがでしたか?長々と語りましたが、私が本当にお伝えしたいのは、以下のシンプルな事実です。
病識を持つことは大事ですが、あなたは『病名』ではありません。
どうか容赦なく貼られていく様々なラベルに負けず、自分自身を主軸に据えて、日々を過ごしていってください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事へのコメントはありません。