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「福祉」とは自分と自分のいる社会を助けるもの。では「合理的配慮」は誰が決めるものか?(連載6回目)

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草原の中に立つ木

ふくしごと〜福祉で働く人のための、障害者支援の現場から伝えたい未来を考える力

 

(連載第5回)「障害者福祉の仕事を通じて福祉業界の『常識』を変えたい。」本連載では、福岡で障害者メンバーとチームを組んでITを活用した仕事を続ける就労継続支援A型事業所「カムラック」でサービス管理責任者統括として働く冨塚さんが、就労支援現場での取り組みをまとめた書籍『ふくしごと』から、福祉の未来を作るための実践をお伝えします。本連載は6回を予定しています。ご興味いただけた方は記事最後に紹介している書籍『ふくしごと』もぜひご覧ください。

 

本連載は書籍『ふくしごと』(著:冨塚 康成/2019年10月発行)の一部を抜粋・再編集し収録しています。

 

「福祉」とは、自分と自分のいる社会を助けるもの

福祉にどのような意味があるかご存じでしょうか。

 

実は、「福」も「祉」も訓読みだと同じく「 さいわ(い)」と読みます。
では「さいわい」という言葉の意味はいかがでしょうか。

 

1. その人にとって望ましく、ありがたいこと。
2. 都合のいいさま。
3. そうしていただければ幸せだと人に頼む気持ちを表す。

 

ちなみに「福祉」で調べると「公的配慮により社会の成員が等しく受けることのできる安定した生活環境」だそうです。この一文をより掘り下げると以下の通りになります。

 

「全ての人が社会の一員に成る」という目的のために「支援者が当人の望むサポートをすることで目的を達成できる」

 

ここで重要なポイントは「社会の一員と成るというのは、どういうことか?」と「当人が望む配慮」の2点です。社会を構成する人と単純にいえば、子供から老人まで全ての人になります。ただ「成る」というのは「変化」を意味するわけですから、単純に「全ての人」という話ではないことになるのではないでしょうか。

 

では「社会」とはどういうものかと言うと、「集団としての組織的な営み」と記されていました。「組織的」というのは、共通の目的のために全体が一定の秩序をもって組み立てられている様のことを言います。つまり、「目的を持って秩序を一定に保てるよう」にすることです。では「目的とは何」と掘り下げると、「社会を維持すること」ではないかと考えます。

 

それぞれの人に、もしくは団体に、理想の世界はあるとは思いますが、理想を追い求めることで社会が維持できなければ元も子もありません。社会を維持するために、構成する人々、それぞれが自身の能力を発揮し貢献をする。自分一人でできないことは、仕組みを作り、配慮することで、共に社会の一員となっていきます。

 

つまりは、他者は、そういう関わりを持つ必要があるのです。そう考えれば、福祉というものは、子供や老人、障害者に限られたものではなく、全ての人に対して配慮されるものであり、結果「自分と自分のいる社会を助けるもの」となるのではと思っています。

 

 

「合理的」かどうかは、障害者が判断するのではない

平成28年4月施行の「障害者差別解消法」により一人ひとりの困りごとに合わせた「合理的配慮」の提供が義務化となりました。合理的配慮を否定することは差別していることと判断されます。合理的配慮とは、障害の有無に関わらず平等に人権を享受し行使できるよう一人ひとりの特徴や場面に応じ発生する困難さを取り除くための個別の調整や変更のことです。

 

「合理的配慮」とは、障害者の側が「合理的か」を判断するのではありません。会社にとって業務をする上で、配慮してもらいたいことを具体的に求め、それが過重な負担でなければ提供(合理的に提供できる)しなければならない、この一連の流れが合理的配慮です。つまり、「合理的かどうかは、会社が判断する」ということです。

 

「合理的かどうかは障害のある本人が決められる」と思っていると、会社にその要求が通らなければ不満ばかり募ります。そうではないと分かった上で、会社が「合理的」だと思ってくれるように、どんな風に伝えたらいいかをしっかり考えるのです。

 

あくまで、障害のある方が主体的に自分の力を発揮していくことが目的なので、本人が必要としていないような過剰な配慮は合理的とは言えません。コミュニケーションが苦手としている人にネットを使用することで、相談できる環境を作れるとしたならば、合理的配慮と言えると思います。

 

ただ日常生活全てにおいて、周りが介助をして助けてあげる、というのは本人にとって過剰な配慮となってしまいます。また、症状が緩和して問題を感じなくなれば、配慮は不要になるかもしれません。

 

つまり、本人の状態や周りの環境の変化に応じて、
・その人が具体的にいつ、どんな場面で困っているのか。
・その困りごとを解消するための適切な配慮は何か。
という2点を踏まえながら合理的配慮を検討・実施することが大切です。

 

合理的配慮・ストレス緩和を考慮した支援計画の作成

障害者が就労するための支援施設は、全国に17,000件以上存在します。これら「障害者総合支援法」に基づき展開される「就労系障害福祉サービス(就労移行支援、就労継続支援A型、就労継続支援B型)」では就労を希望する障害者に対して職業訓練・職場探し・職場への定着支援・企業実習など一般企業で働くにあたって必要な支援を行っています。

 

しかし、約3割の事業者では就職した利用者がおらず、施設に通っても就職には至らないのが現状です。
その原因のひとつとして「一般企業にとって障害者を雇用することへの不安が大きい」ということがあります。「合理的配慮」が義務づけられているが何をしなければいけないのか、知らないことで不安が膨れ上がっているのではと思われます。

 

まず健常者と障害者が同じ空間で働くにあたって気をつけている点としては「障害」という概念を捨てることです。「障害者だから、ここまでの仕事しかできない」などは一切考えません。
「自分は障害者じゃない」「普通の人と同じように仕事がしたい」という人にとっては働きやすい環境になるのではないかと思います。

 

障害のある方が面接での不安を訴える例として、「自分の苦手なことをどういう風に周りに伝えればいいのかわからない」ということを聞きます。「苦手なことを周りに伝える」という発想がすでに間違っています。

 

「これが苦手です」と言って、相手にその対応策を委ねるのではなくて、「こんな配慮があれば、働ける」というふうに、自ら対応策を提示するところがポイントなのです。かなり印象が違うはずです。

 

福祉で大切なことのひとつに言葉があります。障害のある方にとって、就活はよりストレスを溜めていく行為でもあります。せっかく支援できる環境を得たとしても、スキルや障害の重さの問題で目標を達成することなく辞めていくことになれば、「マイナスの経験」しか残りません。

 

コミュニケーション障害がなくても、他者の気持ちを知ることは難しいことです。少しでも理解するために「言葉」というツールが必要になります。
相談には信頼関係が必要になりますが、私は言葉を紡ぎ続けた結果が関係を築くと思うのです。だから、言葉のやりとりを軽く見てしまっては、望む未来は得られないと思うのです。

 

 

病識の理解・教養の必要性・考え方の変更

面談などの際によく言うのですが、悩んでも答えが出ない時に必要なのは、インプットとアウトプットです。悩んでも答えが見つからないのは、自身の頭の中に答えがないからです。ならば、どこかから手に入れるしかありません。
また、いろんな人にアドバイスをもらっているのに問題が解決しないのは、自分が正しくアドバイスを理解していない可能性を疑うべきだと思います。

 

その答え合わせをするのがアウトプット、会話だと思います。
会話は、いろんな場所でいろんな人と話をすれば鍛えられます。相手の専門の話を理解し、こちらも専門家として理解してもらえるように話さないとなりません。

 

専門外の人に自分の専門をアピールするためにできることは、単に分かりやすく伝えるだけではなく、自分の専門が私たちの生きる社会とどのように結びついているかについて、相手に実感してもらう必要があります。そのためには社会との関係を常にイメージする必要があります。イメージする際に力となるのが教養です。

 

教養は「専門外の知識」ではありません。「専門を活かすための知識」なのです。社会において、自分の専門知識を活かしつつも、それに固執せず、社会のニーズの変化や研究の進展に応じ、知識を「展開」できる力、様々な分野を渡り歩く柔軟性をもった人材が重視されます。
プレゼンなど、伝える方法ばかりを重視するのはなく、知識の拡充や思考力の強化がセットになって、コミュニケーションスキルは身につくのではないでしょうか。

 

「未来」に関してのイメージ

アドラー心理学にもありますが原因論・目的論のみでカテゴライズすると本質を見失います。

 

例えば、出勤できない人がいる時に目的論だけで考えると原因は、「働きたくないから出勤しない」という話になります。原因論で考えると「過去のトラウマや障害があるから出られない」という話になります。「働きたくない」という思いがあったとしても、働かなければ「社会人」という肩書きや社会での役割を失います。人は役割を失うと不安になります。結果、出勤しないことで不安になり、居場所を求めることになります。
また、障害や過去のトラウマがあったら働けないかといえば、他の人のことを考えればそうでもないのは自明です。

 

ここで、精神的に病んだことがない人との考えの違いは、「未来」に関してのイメージだと思います。特に精神疾患のある方は「予期不安」があるため、未来に関して「負のイメージ」を持ちやすいのです。自分ではわからない未来の出来事は、「体験していない」が故に、より巨大な不安を感じやすくなります。

 

つまり、未来を「受け身」で待つか、能動的に計画していくかの違いだと思います。

 

 

本記事は「biblion 読む・知る・変わる。人と社会をつなげる読み物メディア」の提供で配信しています。biblion では、社会の課題解決に挑戦する人々の取り組みや、暮らし・仕事に役立つ専門的な知識と技術を記事として発信しています。

 

提供:「福祉」とは自分と自分のいる社会を助けるもの。では「合理的配慮」は誰が決めるものか?(連載5回目)(biblion)

 



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