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精神障害者と親や家族の3つの事例 〜愛さえあればOK!でもない〜

  • 最終更新日:

今この記事を読んでくださっているあなたは、精神障害者か、その親やご家族、もしくは同居人、といったポジションの方の可能性が高いかと思います。あるいはご友人ですとか、恋人であったり、近しい人物かもしれませんね。

 

この記事では、精神障害者とその親などの家族の場合に絞り、お互いの関係性に困難やぎこちなさ、忌避感を抱いている方へ、僭越ながら、無駄に病歴の長い精神障害当事者である私の体験談と経験則をお伝えするものです。

 

もちろん、大前提があります。私は『一例にすぎない』ということです。

すべての人間に各々個性があるように、「精神疾患にもまた、個性がある」と私は考えます。たとえば、同じうつ病でも、うつが酷い時に誰かに寄り添って欲しい人もいれば、ひとりきりになりたい人もいます。

 

誤解を避けるために書きますが、私は「精神障害が個性だ」とは思いません。まずはひとりの人間がいて、そこに精神疾患がくっつきます。くっついた精神疾患に、個性が現れる。そういう意味ですので、ご留意いただければ幸いです。

 

前置きが長くなりましたが、この記事では精神障害当事者である私が、自分の親や家族との関係性についてどう折り合いを付けてきたか、友人知人の例も挙げて論じていきたいと思います。最後までお付き合いいただき、ひとりでも多くの方の呼吸を楽にできれば僥倖です。

精神障害者と家族の様々な3つの事例

最初に書いておかなければならないのは、私の家族は私を惜しみなく愛し、病気を理解しようと粉骨砕身の努力を20年以上続けてきてくれている人々だということです。

 

ですから、「家族が病気を理解してくれない!」というケースについては、想像と友人知人の事情を見聞きした範囲となります。

ネグレクト傾向のある親の事例

たとえば、虐待やネグレクトとまでとはいかないまでも、ほとんど親御さんに構われたことのなかった友人がいました。

 

インターネットを通じて知り合った彼女が、初めて我が家を訪れた時のことは忘れられません。

 

普段は私のことをからかったり、ブラックなジョークを飛ばすような子でした。そんな彼女が、私の母が作った、品数が多くボリュームも多い夕食を見ると、ぽかんと口を開けて言いました。

 

「これ、全部食べていいんですか?」

 

彼女の戸惑いが伝わってくる声音でしたが、私にはなぜ彼女が戸惑っているのか分かりませんでした。そして、食事を開始したら彼女は泣き出したのです。

 

「こんなにおいしい手料理のご飯は食べたことがない」

 

しゃくり上げながら、彼女はそう言いました。

 

私も母も最初は驚いていましたが、母はすぐに「いくらでも食べて」とおかわりを持ってきました。

 

後述しますが、私の母は家事全般が得意で、料理もとても上手いです。ですから、親友が泣くほど感動した夕食も、私からすれば普段通りの晩ご飯でした。

 

カルチャーショックと言うと語弊があるかもしれませんが

 

ゆかり
この世の中には、色んな家庭があるのだ。

 

と知った最初の出来事でした。

 

精神的に不安定になると締め出される事例

また、別の友人で、統合失調症の女の子がいました。

 

彼女は家族が病気を理解するどころか厄介者扱いし、精神的に不安定になったり、パニック発作を起こしたりする度に、家から閉め出されていた、というのです。

 

呆然としました。彼女がどれだけ傷ついたか、想像するのも恐ろしかったです。

 

私の家族は、いつ何時であろうと、私が不調を訴えると何時間でも寄り添ってくれる存在でしたが、それでも気分が落ち着かないことが多かったです。

 

しかし、特にパニックを起こしている最中のあの強烈な不安恐怖を、受け入れないどころか突き放され追い出されるだなんて、もう絶句です。

 

結局その子は、医師と役所の福祉課の手引きで家族と別居し、ほとんど絶縁に近い関係に落ち着きました。

 

精神疾患は親や家族の愛と理解があればOKなの?

他にも、ここに書けないような悲惨な目に遭っていた友人知人が、何故か私には多かったです。

 

では「家族の愛と理解があればOKなの?」と問われると、「残念ながらそうでもないよ」というのが、私の見解です。

 

別の年上の友人が我が家に遊びに来たことがありました。

 

この頃、私はすでに母親との関係性に問題を抱えており、その友人にはいつもその悩みを相談していました。

 

そして、実際に私の家で母と対面した友人は最初、

 

「こんなに優しくて、家事もバッチリで、完璧なお母さんなのに、なんでゆかりは辛いんだろう?」

 

と疑問に思ったそうです。

 

しかし、八壁家で一日過ごした後、彼女は言いました。

 

「お母さんが完璧だから、ゆかりも完璧な娘であることを要求されているのかもしれない」

 

というわけで、次は私自身の体験談をお話ししたいと思います。

 

精神障害当事者である私と家族の事例

先述の通り、私の家族は私の精神疾患や私自身を受け入れ、私が少しでも楽になるよう可能な限り努力をしてくれています。結婚して家を出た今もなお、です。

 

私も両親と兄弟を嫌ったり、憎んだりはしていません。

 

しかし、私は彼らと一緒にはもう生活を共にはできません。

 

母親に関しては、昔から逆らえないというか、自分と同一化しているというか、彼女自身も私が二十歳を過ぎるまで「自分の一部だと思っていた」と言うくらい、お互いに依存し合っていたと思います。

 

しかし、私は母親ではありませんし、彼女もまた、私とは別個の人間です。

 

30歳になった時、

 

ゆかり
もういい加減、彼女から分離・独立・自立せねば!

 

と誓ったのですが、30年にわたる『縛り』は、そう易々とはほどけませんでした。

 

また、私には幻聴という症状があるのですが、家を出て東京で夫と二人で暮らすようになってからも、頭の中で母が私を叱る声が聞こえていました

 

そんなもどかしい日々が続き、今年のお正月、ついに私は『母子分離』の第一歩を踏み出しました。

母と離れられた第一歩

何をしたかというと、本当に小さなことです。

 

ゆかり
新年の挨拶に、実家に帰りませんでした。それだけです。

 

でも、私にとってこれは大革命だったんです。

 

この時、私は母のみならず、父や兄弟にも会いたくありませんでした。その理由を、主治医にこう告げました。

 

ゆかり
関わるのが面倒だからです。

 

すると、いつも厳しい物言いをする主治医がニヤリと笑って、

 

「やっとまともなこと言ったね!」

 

と言いました。

 

「家族だから新年の挨拶に行かなければならない」
「家族だからたまには顔を見せに帰らなくてはならない」
「家族だから近況報告を怠ってはならない」
「家族だから——」

 

私はこんな強迫観念に長年、囚われていました。

 

特に母に関しては、すべてをシェアしなければならない、という衝動と欲求があり、普通の母子が共有しないであろうプライベートな部分まで、かなり話していました。

 

しかし、年明けから彼女との連絡頻度を落としてみると、私は気楽になりました。

 

もちろん、完全に分離して独立できたとは言えません。私自身、まだ彼女に甘えてしまうことがたまにあります。

 

でも、夫や主治医のアドバイス、サポートで、少しずつですが、距離を置くことに成功している実感と自負が生まれました。

 

この調子で、ひとりの人間として自立したいものです。

 

親や家族=血の繋がった他者

 

突然大仰な言い方になりますが、『自分』以外の存在は、すべて『他者』になりますよね。

 

あなたはあなた以外の何者でもなく、どんな他者でもあなたには成り得ません。

 

それは、たとえ血の繋がった関係、親であったり兄弟であったりしても例外なく、彼らもあなたではないし、あなたも家族には成り得ないのです。あなたが家族を愛していようが、憎んでいようが。

 

ゆかり
「あなたは家族ではありません」

 

これは昔医者に言われたことなのですが、特に親という存在は、確実にあなたより先に老いていく存在です。

 

家族や他者を変えるのではなく自分を変える

私自身、両親の体力的な衰えやメンタル面での変化に戸惑っている昨今です。

 

短気な方がもっと短気になったり、新しいものを受け入れられなくなってきたり、老害といったスラングで言いたくなるような言動を取ることも増え、少し悲しくもなります。

そんな彼らに、「私の今の病気と症状を理解してくれ」と頼んだり、加齢によって盤石になっている彼らに変化は期待できません。

 

だったら、こちらが意識と言動を、少しずつでもいいから、変えていけばどうでしょう?

 

先述した私の体験のように、何年もかかるかもしれませんし、案外あっさり上手く行くケースもあるかもしれません。

 

ゆかり
家族とは、『他者』内『血縁者カテゴリ』のメンバーです。

 

いくら一緒に暮らしていても、産んでくれた存在であっても、育ててくれた恩人であっても、あなたとは異なる存在です。血の繋がりを過度に絶対視せず、近しい他者同居人といった風に、捉え方を変えていくのが分離・同一化脱出からの最初の一歩ではないでしょうか。

 

精神障害者とその家族まとめ

 

何度も書きましたが、我々は皆、違う人間同士です。

 

違うからこそ面白いし、そこに生まれる絆はかけがえのないものになります。

 

ですが、「相手の全てを理解する」、これは無理です。

 

どんなに近くにいても、どんなに愛し合っていても、こればかりは不可能です。

 

こう言うと冷たく響きますが、我々は100%全てを分かり合うことができません。

 

しかし、

 

ゆかり
「分かり合えないという事実」を「分かり合おう」

 

と、私は主張したいです。

 

「分かり合えない」というある種の諦念の先に、それでも分かる部分が発生し産まれるもの、それこそが愛であったり友情であったり、本来の絆ではないでしょうか?

 

私自身も、家族とそういった健康的な関係性を築いていきたいと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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八壁ゆかり
病歴22年目突入のパンク主婦、物書き。 精神疾患を抱えたまま、高校不登校時に「そうだ、ニューヨークに行こう(永住的な意味で)」と思い立ち、全日制高校から通信に移り英語学校へ。卒業後、単身ニューヨークに飛ぶものの、病状の悪化で帰国を余儀なくされる。今でも英会話は得意。 主たる精神疾患は解離性障害とそれに伴う解離性健忘、最近は統合失調感情障害も加わった。健忘が酷すぎるので、「記録魔」そして「保存魔」として首都圏で名を馳せつつある昨今。 幼い頃から小説を書いており、新人賞でもかすりはするが一歩とか二歩とか及ばないのでそろそろ及びたい次第。noteはこちら→note


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