みなさんこんにちは。早稲田大学の黒澤です!
今回は、「感動ポルノは悪、という悪」という連続企画の第3弾!テーマに沿って様々な福祉&映画関係者の方々にインタビューさせていただきました。
感動ポルノとは本当に悪なのか、何が問題なのか。
私にはまだ明確な答えが見つかっていません。
だからこそ、第一線で活動されている方々に取材をさせていただきました。
そこで第3回目の今回は、バリアフリー映画監督の堀河洋平さんにインタビューをさせていただきました。バリアフリー映画監督であり、現役の介護福祉士という支援者でもある堀河洋平さんに「感動ポルノ」について迫ってみました。
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連続企画「感動ポルノは悪、という悪」
近年24時間テレビなどで話題に上がる「感動ポルノ」をはじめとする、障がい者表象に関する議論。
福祉業界や映画業界の様々な方からご意見をいただき、勉強させていただくという企画である。
感動ポルノとは?
2012年にオーストラリアの障がい者ジャーナリスト・コメディアンのステラヤングが「TED」にてこの言葉を使って、健常者からの障がい者に対するイメージ・見方を批判した。
彼女が述べたことはつまり、障がいという「負」であり「悪」であるものがあるにも関わらず、立派に生きているという「理想化」された見られ方が存在しているということである。
代表作としては『上にまいります』(2012)、『千里翔べ』(2016)などがあり、いずれも障がいのある人が主役の「バリアフリー映画」だ。
私は福祉が好きで大学で学んでいるが、それと同じくらい映画が好きだ。何かこの2つを掛け合わせたことをできないかと考えていた時、堀河さんのことを知った。作品を見ると出演者は役者の方ではなく一般の方。
それもみなさんいきいきと楽しそうに作品作りをしていた。そのように作られている作品はとても暖かくて、それでいて今回のテーマである「感動ポルノ」には関係がないところで動いている気がしたのが気になった。
堀河洋平監督のご紹介
熊本県出身。「スタジオウーニッシュ」代表。障がいや難病がある方と一緒に【バリアフリー映画】を制作する。
介護福祉士をはじめその他8個の福祉資格を所持し、介護福祉士と映画監督の二足のわらじで活動中。
これまでの活動
日本映画学校(現・日本映画大学)卒業。その後、子供のことから憧れであった香港映画界へ単身渡る。今までに手がけた自主映画は150本以上であり、近年は福祉や介護、人権を題材にしたバリアフリー映画・映像制作を中心に活動。
脳性麻痺の日常と夢を描いた『てるてる坊主と金魚姫』、心のバリアフリーを表現した『上にまいります』(第3回知多半島映画祭でグランプリを受賞し、第16回長岡インディーズムービーコンペティションでは、審査員特別賞を受賞)、自然と人間の共生を問うファンタジームービー『千里翔べ』(第18回長岡インディーズムービーコンペティションで奨励賞を受賞)など、さまざまなバリアフリーを真正面から表現する。(HPより抜粋)
介護福祉士として
その中で日頃直面する様々な課題。どの現場でも同様なことが課題に挙げられることがお話を聞いていてよくわかりました。
介護をするようになったきっかけ
幼い頃から福祉業界に関わりが深かったからだという。伯父さんが聴覚障がいがあり、お母さんが手話通訳士を行っていたという環境で育つ。
そのため子供の子からボランティアなどで福祉施設に出入りしており、この道を選んだのはとても自然な流れであったという。障がい者や高齢者の訪問介護を16年間行っているベテラン介護士だ。
しかし堀河さんはこうも言った。「でも困っている人を助けたいという訳ではない」と。そこに人間関係のフラットさと傲りの無さを感じた。
このフラットな関係というのが介護現場では意外と難しい。「助けてあげる人」「助けてもらう人」の関係性から抜け出している介護士はどれだけいるのだろうか。
介護現場の実状と辞めていくヘルパー仲間
そこでの現状にやるせなさと問題意識を感じたという。
例えば、一人の職員が4人の食事介護を同時に行ったり、おむつ交換時に時間が足りず全員帰ることができなくて放置することになってしまったりということがあったらしい。
それが過去のリアルな現場であった。もしも自分の親がされたら・・・と胸が痛い思いをしたと話す。
上記のことは人手不足の介護現場での実情だろう。介護業界において、知っての通り人手不足は深刻な問題だ。そもそも慢性的に人手不足が問題視されている介護業界ではあるが、一度ヘルパーをの仕事を行なった後で退職する事例が後を絶たないという。
思い描いていた現場と現実後のギャップで辞めていくヘルパー仲間。ボランティアの時は感謝をされるため役に立っているという実感があるが、ヘルパーの現実となると思ったより感謝なんてされない。肉体労働、人間関係のゴタゴタ、給料が低い・・・など、厳しいこともたくさんある。
スタジオウーニッシュ作品
スタジオウーニッシュのホームページにはバリアフリー映画の前書き(説明)についてこう書かれていた。
”障がいや難病のある人もない人も、性別も国籍も関係なくみんなで一緒に”
「バリアフリー映画」を作るきっかけ
「バリアフリー」映画作品を作り始めたきっかけは、前項に書いたような「ヘルパー不足の解消」のためであった。堀河さんが作る映画を見て介護現場を知ってもらい、「障がい者とも仲良くしたい」「ヘルパーに憧れました」となる人がいれば・・・という思いで始めたのだという。
やはりこの作品を作るようになったきっかけは「ヘルパー不足の解消」。限られた少数の人にではなく、不特定多数のできる限り多くの人に作品を伝えたい。
そのためにはよりポップでポジティブに、その上リアルに場面を伝えることが必要だったという。だから、様々な場面でおこる悔しさややるせなさをネガティブに伝えてしまうドキュメンタリーではなく、あくまでフィクション作品にこだわってきたのだ。
ノンフィクションなフィクション
『てるてる坊主と金魚姫』の披露試写会にて、障がいがある方から核心的なご意見をいただいたことがあるらしい。
脳性麻痺の足立雫はいつもと変わりない日常をヘルパーの五十嵐朋子と過ごしていた。七夕の日、雫と朋子はそれぞれの願いを短冊に書いた。雫の姉・恵はチアリーダーをしている。
楽しそうに激しくも美しく踊る、恵のチアに憧れている雫。恵はチアの強化合宿で渡米する事に。雫が短冊に書いた願いは”お姉ちゃんと一緒にチアを踊りたい”だった・・・
一方朋子は恋人のことで悩んでいた。朋子の恋人・加藤源太は夢を忘れ、仕事もせずに希望のない毎日を送っていた。
しかも朋子の大切な仕事であるヘルパーに対して偏見を抱いている。そのことを知った雫は朋子と源太を山登りに誘い、ある計画を企てる。山のてっぺんで3人はそれぞれ何を思うのか。そして、七夕に願った結末は・・・
この作品では、主演の脳性麻痺の女性を健常者の女優の方が演じた。そして物語の中で、夢の中ではこの女性は”健常者”として走り回っているシーンが登場した。ここに対して意見をいただいた。
『てるてる坊主と金魚姫』予告編
「夢の中でも私は健常者になることはない」
ハッとしたという。そこに対して一種の偽りを作り、健常者目線でそのような表現の仕方をしてはいけないと思ったという。
そこから堀河映画では健常者が障がい者を演じる形ではなく、障がいのある方が役を演じるようになった。だから作品はフィクションだけれども、ノンフィクションでもあるのだ。
障がい者が演じる映画ができた
スタジオウーニッシュ作品を見た人から「感動した」という感想はあまりもらわないと話す。それよりも「ついに障がい者が演じる映画ができたか!」という喜びの反響が大きい。
確かに障がい者の方が障がい者役を演じる作品を見ることはまだ珍しい。その中で約10年前からそれを作り続けているというのはとても先進的な動きであっただろう。
また、映画制作に置いて最も喜んでもらえるのおは、出演した障がいのある方の親御さんだという。映画を作る過程で、映画とは関係のないバックステージが動いているのだ。
ここに人間の、家族の一番素敵な部分を見出せるんだと堀河監督は語る。映画制作を通して生活や人生に変化が生じるというのはいかに素晴らしいことか。
障がいは果たして悪で負なのか
自身のヘルパーとしての経験の中で見えてくる課題展の数々。特に障がいを理由に遠慮がちになってしまう方を多く見てきて、そこに課題に思っているとおっしゃってます。
例えば福祉施設に通っている障がい者は施設と家の往復という生活の中で、自由に社会に参加することが難しい。それによって半ば人生を諦めている方がいる。過去には「なぜ私のことを障がい者として産んだんだ!」と憤慨されたこともあったという。
また、知的障がいのある方が起こしてしまう事件をニュースで見かけることがある。階段からベビーカーを持っているお母さんを押し倒す。ガラスを物で割るなど。
コミュニケーションを撮ることが難しい障がい者は、自身の思いや考えを伝える手段として、ある種暴力的な表現をしてしまう。さらには、親なき後問題。一家心中という選択肢をとる方もいる。
キーワードは「可能性」。自分の映画に出てもらって、自分にはこれができるんだという可能性を感じてもらいたいのだ。
あなたは挑戦してはいけないんだっけ?
でも、堀河監督の作品作りへの思いを聞いていると、確かにそう言われた気がした。
自分の生き方を見つけることはすごく難しい。私はそれをつくづく感じている。何がしたくて何ができるのか、自信を持って言えるようにするのは難しい。
しかし堀河監督は、自分の作品を通してそれを発見し表現して欲しいというのだ。
「障がい者の方やその家族に『チャンス!』だと思って表現してもらいたい。自分はそういう場を作りたい。目の見えない人・耳のきこえない人、さまざまな障がい者の方とただ純粋に一緒に制作し、一緒に表現していきたい。これが誰かの希望になってほしい。」
こう語ってくれた。ヘルパーの仕事をし、実際に現場にいるからこそ出てくる本当の思いなんだろうと納得した。障がい者の方から「今度私も撮ってよ!」と逆オファーされることがあるらしい。
それだけ堀河監督の作品はチャンスの場であり、人の希望によって作られている物だと安心する気持ちになった。
『千里翔べ』予告編
福祉の奥深さー障がい者と健常者ー
「福祉」業界はおそらく近い関係性にある実感がない人には、わからなさすぎる世界だろう。そのわからなさが壁である。
「障がい」と「健常」もその一つであろう。この壁を無くすための実践をしていきたいと堀河さんはいう。堀河監督の映画では、作品を撮り終えたあとは、障がいがある人もない人もみんなで飲み会をするらしい。
もしかしたらどちらも同じことで、きっとどちらも正しい。
障がい者×受け手の考え方×発信の仕方=感動ポルノ
「感動ポルノ」と私に言われて、なるほどそうきたか、と思ったと言う。
堀河監督は、こう語ります。
すごいと思うことはあるけれど、利用者の「山田さん」という人を見るから、「足に障がいがある山田さん」の頑張っている状況を見て感動しないのである。当たり前すぎて障がいが特別という感覚がないと言う感じだろうか。
しかしこの24時間テレビを見て感動する人もいる。(それを否定しているわけではない)。
そうつまりこれらは受け手次第なのだ。制作者側がどのような演出をしようと、あまり関係がないのかもしれない。制作者側だけの原因ではない。
知らないからその人の「足」にフォーカスする。障がいが特別になる。これは障がい者側の問題や、制作者側だけの問題ではなく、これを見る人の問題なのだ。
自分の生き様を見てほしい。どうぞ感動してくれ。もあり
感想ポルノは善か悪か。
これが堀河監督のお答えであった。「自分は感動ポルノ的な映し方は嫌いじゃなくて、逆にこの苦労してきた生き様をみんなに知ってほしい。どうぞ感動してくれ。」と言う人も中にはいるかもしれない。それも”あり”である。
また、堀河監督は今の時代感動を煽って発信することに、国民が敏感になりすぎていると言う。再三言ってきたが感動はそもそも悪いことではない。感動するかしないかは受け手の考え方次第。
例えばオリンピックの開会式では、知らない国の名前がたくさん画面に映った。
そう言う選手たちが東京にきて、一緒に競技をしているのってすごいこと。多様性って深いなって。だからいかに自分たちが無知で経験が浅いか知らないと。これは永遠のテーマ。
確かに、他に介護士をやられている方とお話をしたときに「感動ポルノとか別に興味がない。」と言っていた。
実際の介護の現場にいる方にとってこれは別次元の、かけ離れた話なのかもしれない。
お話を聞いていて、この作品が「感動ポルノ」を感じさせない理由がわかった気がした。これらの作品は、一番に障がい者とそのご家族のため(を喜ばせようとして)に作っているからだ。
つまり健常者を喜ばせると言う目的がある。
この作品を見て健常者がどう思うかは別として、そもそもの作り方としてはこれによって感動ポルノを脱却できている。
今後の障がい者表象の可能性
『千里翔べ』に出演していたあそどっくさんはyoutubeで自分の表現をされている。最近では多くの障がい者の方がyoutubeで発信をしているのを見かける。
10年後どうなっていくんだろうかすごく楽しみ。テレビのコメンテーターやお天気キャスターになっていたりして・・・(笑)
パラリンピックが終わった今、”多様性”をテーマにしたメディアの作り方に変わっていくはずだ。と監督は想像する。
あそどっくさんのYouTube
今後のご活動ー障がい者を見て笑ったら不謹慎?ー
次のようにお答えいただいた。
そして世界中に作品を伝えていきた。ダブル主演に、健常者同士、障がい者と健常者と言うのはあるけれど、障がい者同士はない。
だから新しく欧米の障がい者と日本の障がい者ダブル主演とかやってみたい。
もともとエンタメ系の商業映画が好きな堀河監督。だからそれを自分自身が撮ってみたいと言うのだ。
笑ったら不謹慎?障がい者を見て笑ってもいいんだと思える映画を作りたい。
堀河洋平監督のインタビューを終えて
とても誠実な思いで楽しみながら作品作りをしているのがお話を聞いていてよくわかった。作品に参加している方の写真やメイキング映像を見ると本当にみなさん楽しそうであった。
それは皆さんにとって作品一つひとつが希望に溢れている場であるからだろう。
監督は話していてある種感動ポルノの対局にいる人だと思った。対局というよりかは関係がない世界にいる感覚がした。
監督の作品はこの前半部分を払拭しようとしている気がした。「障がい」つまり社会モデルで見たハンデを、真正面から描いている作品は意外に少ない。
これからも心温まる作品でありながらも真正面から障がいを描くバリアフリー映画を楽しみにしたい。
東京五輪で感じた疑問
最後に、また疑問が浮かんだ。
2021年夏、東京五輪が開催された。オリンピックパラリンピックどちらも見てどちらも感動した。しかし情報番組のコメンテーターの言葉には少し違いがあった。
オリンピック「最後まで諦めず一生懸命に戦い続けた。勇気をもらえる」
パラリンピック「自分の境遇に満足できないながらも一生懸命に取り組んでいる。勇気をもらえる」
というように、パラリンピックの方が過去の境遇を手厚く紹介されているように見えた。
もう一度しっかり考え直したいです。
堀河洋平監督HP
「スタジオウーニッシュHP」:https://seckietwelve12.wixsite.com/studio-wooonish/
「堀河洋平監督note」:https://note.com/yoheihorikawa/
「最新作『地球の声』応援PV」:https://elu.jp/item/aAZWUIeNo1GUm4p4vFP4
連載シリーズはこちら
→ 感動ポルノは悪、という悪
黒澤
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