みなさんこんにちは。早稲田大学の黒澤です!
今回は、「感動ポルノは悪、という悪」という連続企画の第4弾!テーマに沿って様々な福祉&映画関係者の方々にインタビューさせていただきました。
感動ポルノとは本当に悪なのか、何が問題なのか。
私にはまだ明確な答えが見つかっていません。
そこで、第一線で活動されている方々に取材をさせていただきました。
第4回目の今回は、障害者専門デリヘルはんどめいど倶楽部代表ショウさん!”障害者”のイメージという点から感動ポルノに迫ってみました!
お好きなところからお読みください
連続企画「感動ポルノは悪、という悪」
近年24時間テレビなどで話題に上がる「感動ポルノ」をはじめとする、障害者表象に関する議論。
福祉業界や映画業界の様々な方からご意見をいただき、勉強させていただくという企画である。
感動ポルノとは?
2012年にオーストラリアの障がい者ジャーナリスト・コメディアンのステラヤングが「TED」にてこの言葉を使って、健常者からの障害者に対するイメージ・見方を批判した。
彼女が述べたことはつまり、害という「負」であり「悪」であるものがありながらも、立派に生きているという「理想化」された見られ方が存在しているということである。
ショウさんは、今ではまだ珍しい”障害者専門デリヘル”を経営されている。障害者専門デリヘルとは、名前のように障害者の方が積極的に使っていただけるデリヘルだ。前職の介護の仕事の中で持つようになった「健常者」と「障害者」の間に存在する距離や不平等への違和感に立ち向かい続けるショウさん。
この先進的と言える活動にどのような思いが隠されているのか。
人々のニーズを叶え続けるショウさんに、今回「障害のイメージ」という点からお話を聞いてみることにしました。
ショウさんのご紹介
障害者専門デリヘルはんどめいど倶楽部代表。現役介護福祉士でもある。メディアにも多く出演し、活動を拡大し続ける。
世の中に蔓延る”健常者”と”障害者”の待遇の違いに違和感を持ち、それに抗うように活動を行ってきた。自身の事業を「楽しいことの何でも屋」と称し、全国を飛び回ってサービスを届ける。
はんどめいど倶楽部とは
はんどめいど倶楽部の経営コンセプトは、”障害者だって恋もセックスもしたい”
風俗は文化です。アングラ文化にもノーマライゼーションを。
健常者にあれだけディープな文化があるなら障害者の世界にあってもいい。
食事、睡眠と同じように、人として当たり前にある欲求。それを満たしたいと思うのは決して恥ずかしいことではない。健常者が普通にしている楽しいことが、障害があるという理由でできないことは絶対におかしい!
障害のある方がもっと気軽にオープンに、安心して人の温もりやSEXを楽しめる環境、機会を作りたい。そんな思いから、障害者専門デリヘル「はんどめいど倶楽部」が生まれました。
福祉ではなくノーマライゼーション
ショウさんは、この事業は「福祉」ではなく「ノーマライゼーション」にフューチャーした事業であるという。ノーマライゼーションとは、”障害がある人が障害のない人と同等に生活し、ともにいきいきと活動できる社会を目指す”という理念のこと。
一方福祉とは、こう定義されております。
しあわせ。幸福。特に(公的扶助による)生活の安定や充足。また、人々の幸福で安定した生活を公的に達成しようとすること。
oxford languageより
つまりショウさんの行っている事業は、公的な一般生活の幸せの充足や保障の次元ではなく、文化を楽しむことを守るという次元にいるのである。
健常者も障害者も文化を楽しむことへの優先度に差はなく、平等に享受する権利があるのだとうことである。
これの1ツールとして、はんどめいど倶楽部がある。
感動ポルノは善か?悪か?
個人の好き嫌いはあるにしても、その両面性を否定することはできないんですよね。
プロモーションとリアリティ
感動ポルノ的演出のメリットとデメリットについて聞いてみた。
それらが果たして本当にリアリティのある映像作品であったかは正直わからないし、それを疑いもしてこなかったが、きっとそれが普通です。
あまり関わりがない側から見るとわからないけれど、わかる人にとってはやるせない気持ちになるのだろうと思います。
そこでショウさんは言う。
さまざまな演出や編集が加えられ現実とは異なった作品になったとしても、「これが現実です」という押し付けが入ってしまうので。
それはさらに間違った理解を増進させる要因になるものなのではないのと思います。
フィクションとはつまり作り物(架空のもの)前提の作品のことです。
その前提があるため、フィクション作品でならプロモーション力を駆使した作品を作ることは、今後の可能性として大いに考えていけるのではないだろうかと。
どのくらいの人が、フィクション作品を見ながら「これは架空だから真実じゃない」と見られているのかわからない。
受け取り方の心構えの違いで、受け取り方も変わるのかもしれないですね。
それでは平等ではなくなり、特別視していることになるから。
理想の障害者像と健常者像
ショウさんは、「障害者専門デリヘルはんどめいど倶楽部」の代表を務める。その活動の中で多くの人(当事者の方も)が持つ、広く障害者を取り巻く、ポジティブでないイメージがあることを実感するという。
例えば「障害者専門デリヘル」という名に怪しさを感じる人が多くいる。それもありなかなか浸透していかない。地方にもこのような事業があるものの、東京のはんどめいど倶楽部に連絡が入り、大阪まで出張することもある。
安心であることや面白さを伝えることで、限りなく怪しさを消し、多くの人が利用しやすくしたいと思っているという。
ライバルは障害者を取り巻くイメージ
また、はんどめいど倶楽部には「障害者対応」から「障害者専門」となった経緯がある。
その理由は安心感だ。例えば軽度の知的障害者の方が一般的な風俗に行くと、「はっ」というリアクションを取られることがあるという。口には出さなくても抵抗感が伝わるという話を聞いたことがあるそう。
その抵抗感を味わわなければならないのか。味わいたくなければ風俗を利用するなという話なのか。そういうことじゃないだろうというのが彼の考え方であって、不安感や利用しずらさを解消するため「障害者専門」と名を打ち、ウェルカムな姿勢を全面的に押し出すようになった。
そもそも”風俗”に対してオープンなイメージがなかったからなんですよね。
SNSではキャストさんの紹介や、エピソード紹介、またキャストさんご自身のああしたい・こうしたいの考えが述べられている内容もありました。その中で「恋人探し」という言葉を見つけたんです。
ものすごく「中の人」が見えるこの構造が、怪しさを消し、オープンな出会いの場として、文化を楽しむ場として、認識することができました。
障害者の性はタブー
ショウさんは長年介護の仕事をされていた。いくつかの施設では性の問題に対してこんなことがあったという。
- 性の問題なんて聞けない(利用者が職員に)
- 個人の下ネタとして取り上げられてしまう
- 問題点として話し合わせてもらえない空気感がある
本当は社会問題として取り上げなくてはいけないのに、ごく個人的な「エロ」として片付けられてしまう現状。なかなか触れにくい話題として認識されている現状。
これは支援者側の問題でもあるとショウさんは話す。こうなっている理由としては、性教育機会の喪失、障害者の清廉潔白イメージ、障害者に性なんて関係く性を持たなくてもいい!とされているという流れなどが挙げられるという。
しかし話しにくい雰囲気はとても感じるし、触れずに置いておくほうがいいんじゃないかと思ってしまうのも事実。
特別扱いは平等?
障害者専門デリヘルはんどめいど倶楽部では、「障害者だから許す」という甘えに応じていないという。例えばお金が払えないので・・・ボランティアでやってくれませんか・・・とか。
福祉ではないからそういうことには一切応じないのだという。
”配慮”はするが”特別扱い”はしない。これが平等だと話す。
今後の障害者表象の可能性-リアリティの追求-
今後の障害者表象について以下のように話してくれた。
しかし常にリアルな現状を発信し、多くの方が利用できるようになってほしい。
その点感動ポルノ的な映し方のプロモート力は認めています。一部脚色は仕方ないとも思ってる。今現段階での妥協点はここですね。
全てのことをはっきりと白黒つける必要はない。グラデーション・落とし所を作ることは必要だと思います。
障害者と健常者の接点を作りたい
映像作品を見て、自分もこれをやってみたい、ずっと自分も同じことを思っていたんだと言って実際に始める人もいる。一つの映画やドラマ、作品がきっかけになって、行動を起こせる人もいると言う。
だから作品を見て感動したり学びを得たりしてそれで終わりとしない人がいることが、すごく嬉しかった。
また地方にどんどん増えてほしいという願いもあるという。現在ショウさんは全国各都道府県一人はキャストを配置すると言うことを目指してらっしゃる。どこに住んでいても格差なくサービスを使えるような世の中にしたいという。
はんどめいど倶楽部ショウさんの取材を終えて
ショウさんは、こうおっしゃっていた。すごい事だと思った。しかしインタビューで語ってくれたさまざまな考え方は後天的らしい。幼少期から正しいと思ってきた価値観が、実は絶対ではないと気づいたところから全てが始まったという。
思えば感動ポルノに関する論争だってそうだ。過去の「障害者は可哀想」→「元気で明るく社会参加」→「健気に頑張る障害者」→「障害を持ちながらも健気に頑張っているという一面的な見方はどうなんだ!」→「多様性だから、これはこれであってもいい」なんていう変貌は、今ある価値観を疑う姿勢から、それに対抗する形で出てきたものだ。
SNS・メディアで、ショウさんやキャストの方がおっしゃっていることは「確かにそうだよね」と納得できるが、それはなんだか私にとって新しくもあった。
単なる性処理ではなく文化を楽しむツールとしてのあり方に、今後の”障害者”イメージの当たり前が変化するのではないか、という可能性を感じた。
これからニーズは増えていくだろう。文化を楽しむのに優先順位なんてない。考えに共感する者として、これからのご活動を楽しみにしたい。
はんどめいど倶楽部の情報
「障害者専門デリヘルはんどめいど倶楽部」公式サイト:https://handmadeclub2010.com/
Twitter:https://twitter.com/handmaidc
ブログ「障害者対応から障害者専門へ」:http://blog.livedoor.jp/hmclub2008/archives/8694098.html
黒澤
最新記事 by 黒澤 (全て見る)
- 障害者専門デリヘルはんどめいど倶楽部代表ショウさんに聞く|感動ポルノは悪、という悪vol.4 - 2021年11月19日
- バリアフリー映画監督の堀河洋平さんに聞く|感動ポルノは悪、という悪vol.3 - 2021年10月12日
- 映画監督の佐藤隆之さんに聞く|感動ポルノは悪、という悪vol.2 - 2021年10月8日
「感動ポルノは悪、という悪」というのは確かに興味深い、問題提起でした。そして、感動ポルノを否定してきた人間にはキャッチ―で気を引くタイトルです。そういう意味ではマーケティング的には間違っていないかもしれません。
ただ、「感動ポルノは悪、という悪」のあとに「?」とか、つけてもらえたら、もう少し受け入れやすかったかもしれない、と感じました。
一つの大きな齟齬は感動ポルノをどう定義するか、という部分にあると思います。
この部分で、TEDの動画に依拠してしまっているのは安易かなぁと思いました。
何を指して、感動ポルノというか、という見方の違いが、感動ポルノは悪かどうか、という見方にかかわってくるはずです。
感動ポルノのデメリットとして、「デメリットは映像にリアリティがなくなり、間違った理解を増進させてしまう可能性があること」と書かれています。本当にそうでしょうか?
映像にリアリティがある感動ポルノも少なくないように思います。感動ポルノの問題は、確かに障害者に関して「間違った理解を増進させてしまう可能性があること」ではあるのですが、これも言い足りないと思います。ぼくが考える感動ポルノとは単に「間違った理解を増進させる」という話ではなく、障害者に関して、メインストリームで形成されたステレオタイプな見方を強化する、そのステレオタイプな見方とは、「障害を個人的な努力で克服する頑張る障害者は美しい」というようなものです。このステレオタイプな見方を固定させてしまうことは、やはり、悪としか言いようがないのではないでしょうか? それは、もちろん「障害を個人的な努力で克服する頑張る障害者」を否定しているわけではないのです。そのような物語を流布させることで、ステレオタイプな障害者のイメージを固定化することを否定する、そのための概念として、「感動ポルノ」という言葉が使われているのだと思います。
障害に関するドキュメンタリーすべてが感動ポルノであるわけではありません。障害に関するステレオタイプを壊すような側面も含めて、その人の全体性を表現できていれば、それはドキュメンタリーでであり、感動ポルノではないはずです。
この障害者デリヘル事業も、従来の、障害者の性欲を否定するようなステレオタイプを壊しているという面で、面白いと思います。 しかし、何か既存の健常者男性の性意識を肯定的に捉えているような部分もありそうな気がします。
そういう意味では「性のアブノーマリゼーション」を提起した倉本さんの問題提起なども参考にできるのではないかと思いました。 参照: https://tu-ta.at.webry.info/201509/article_4.html
追記です。
|感動ポルノは悪、という悪」は4回目だったのですね。
ちゃんと、見ないで書いてしまいました。ごめんなさい。
これから読みます。