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海外旅行が好きな持病のある弱視の視覚障害者の人生!

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ピレネー越え
鈴木弘美
こんにちは。鈴木弘美です。

 

海外旅行が大好きな50代の弱視女性です。年に3~4回海外旅行に行くこともあるので、海外旅行依存症といってもいいかもしれません。

 

ほとんど白杖を持たずに歩くので、視覚障害者とは気付かれにくいのですが、日常生活には補助具が欠かせなくて、本を読むのにはルーペを使い、遠くの看板などは単眼鏡で見ています。最近はiPadがとても便利で、これらの補助具を使って一人旅を楽しんでいます。

 

今までに約50カ国に旅行しました。2013年には5カ月間の世界一周旅行をしました。

 

これから数回、私の体験を投稿したいと思うのですが、始めに私がこれまでどんな人生を歩んできたか、青春時代を中心にお話ししたいと思います。

盲学校で英語との出会い

今でこそ世界中を一人で旅行していますが、子供の頃は新しいことが苦手で、自分に自信が持てない、どちらかというと暗い性格だったと思います。

 

鈴木弘美
先天性白内障で生まれた私は、小学校から高等部専攻科理療科まで盲学校の寄宿舎という狭い世界で育ちました。

 

ずっと普通校に憧れていましたが、転校する勇気も行動力もありませんでした。羨ましさから、普通校から盲学校に転校してくる子をいじめるという、かなり陰険な子供でした。

 

そんな私が変わり始めたのは中学で英語を学ぶようになってからです。アルファベットは漢字と違って形が単純で読み書きがとても楽でした。英語の教科書を通して知るアメリカやイギリスの自由な雰囲気に憧れました。

 

突如やってきた英会話のチャンス

中学の英語の先生は、当時としては珍しく会話が得意で、町で外国人を見かけると「生徒が話をしたいのですが」と声をかけて、会話のチャンスを作ってくれました。

 

鈴木弘美
私の初めての英語の質問は、出身地を尋ねる「Where are you from?」でした。

 

残念ながら答えはわかりませんでした。まだ習っていない国、ドイツだったからです。しかし、きちんと相手に通じた喜びは大きくて、これをきっかけに英会話が好きになりました。

 

実用英語検定の受検も英語学習の励みになりました。当時、全国の盲学校の先生達の働きかけで、1.5倍の時間延長、点字や拡大文字を使っての受検が実現。

 

私は中学3年で 4級に合格しました。全国の中学生と同じ試験を受けて合格できたことが、とても嬉しく思いました。英語の勉強に弾みがつき、高校1年で3級、高校2年で2級に合格。

 

英検

母の家出

中学時代には、もう一つ私の人生に影響を与える大きな出来事があったのです。もともと仲が悪かった両親が、仲裁役だった祖父の死をきっかけに益々険悪な状態となりました。ついに母は家を出て行ってしまいました。

 

私は暴力的で内弁慶な父親が嫌いで、週末や長期の休みには母の暮らすアパートに帰省しました。当時の田舎町では離婚は難しく、私たち母子は母子家庭とはみなされることがなく、何年間も福祉の対象と認められず…。障害児に支給される就学奨励費は父が受け取っていました。母は建設現場で働いていましたが、生活は苦しいものでした。

 

鈴木弘美
そんな家庭環境からの現実逃避のために、私は英語の勉強に励んだのかもしれません。

 

アメリカ留学のチャンス

高校3年生の時、私は卒業後の進路に悩みました。盲学校で鍼灸を学ぶのが嫌で、英語の専門学校に進学したいと思いましたが、そんなお金を工面できるはずがなく、結局はお金のかからない専攻科理療科に進学しました。

 

鈴木弘美
あん摩や鍼灸の勉強には全く興味が持てず、救いの場だった学校も辛い場所になってしまいました。

 

その頃、週に1度カトリック教会の英会話教室に通うのが唯一の救いでした。家庭の状況を知る神父様が無料で勉強させてくれました。

 

授業はテキストを使うよりも、アメリカ人の先生との会話が中心でした。みんなで最近の出来事や趣味の話などをする楽しい授業でした。

 

鈴木弘美
ある日、将来の夢について聞かれた私は、鍼灸師以外の仕事と答えました。

 

アメリカの視覚障害者の就職事情

私は先生に、アメリカでは視覚障害者はどんな仕事に就いているのかと聞いてみました。先生は、わからないけれど調べてみると言ってくれました。

 

しばらくして先生から連絡がきました。「私はもうすぐ帰国するけれど、これを読んでみてね。」と言って” Job opportunities for the blind”というリーフレットをくださいました。

 

まさか、先生が本当に調べてくれているとは思ってもみなかったので驚くと同時にとてもうれしく思いました。20数ページのリーフレットだったと思いますが、小さな文字の辞書と格闘すること数ヶ月。

 

鈴木弘美
読み終えた私は、働いてお金を溜めてアメリカに行こうと決意しました。

 

リーフレットには教師や弁護士、技術者などいろいろな分野で働く視覚障害者が紹介されていたのです。

 

アメリカ留学のチャンス

チャンスは思いがけず早くやってきました。専攻科理療科2年生の時、担任の先生から「タダでアメリカに留学できる制度があるので受けてみないか」、と話がありました。

 

ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学派遣事業、現在のダスキン障害者リーダー育成海外派遣事業です。もちろん応募しました。意外なことに書類選考を通過。

 

鈴木弘美
東京での2次選考に行ってみると、大卒の人が多くて私は歯が立たないと思いました。

 

しかし、この選考会自体が合宿みたいで刺激的でした。自分とは違う障害の人達と夜遅くまで語り合い、弱視の知り合いができて大満足でした。まさか自分が合格するとは夢にも思いませんでした。

 

思い当たる合格要因は、休憩時間にいただいたドーナツが珍しくて美味しくて、受験生の中で一番たくさん食べたことぐらいです。

 

ウズベキスタンの寝台列車

ウズベキスタンの寝台列車

初めての海外でガッカリ

1986年9月、私は成田からニューヨークに向けて旅立ちました。飛行機が動き始めた時の高揚感を、私は一生忘れないでしょう。建物がどんどん小さくなり、陸地も消えて海しか見えなくなりました。

 

鈴木弘美
嫌いだった盲学校どころか、私は日本から飛びだし広い世界の中にいる。

 

輝かしい未来に向かって夢いっぱいでした。ところが、アメリカでは私の英語は思ったほど通じませんでした。その上、視覚障害者の就労支援や職域拡大関係の研修がなくてがっかりでした。

 

希望する研修ができないことから、ニューヨークを離れカリフォルニア州のバークレーの自立生活センターに移動することになりました。

 

視覚障害者の研修が受けれることに

自立生活センターでの研修は、計画書を作ってスーパーバイザーと話し合い、研修を進めるというスタイルでした。私は見学先を探してアポイントを取ったり、レポートを書いたり、ここで初めて研修らしい研修をしました。

 

アメリカ留学で、私は初めて自己肯定感を持ったと思います。一方で、この国では、かなりタフでないと生きていけないという現実も知り、日本で鍼灸師になるのが無難だと思いました。

 

マチュピチュにて

マチュピチュにて

 

帰国後、そして上京

帰国後は盲学校の専攻科理療科3年に復学しました。どうにも鍼灸に気持ちが向きませんでしたが、盲学校では進路について相談できる人が全くいませんでした。

 

私はアメリカ留学がきっかけで知り合った弱視者問題研究会(現在の日本弱視者ネットワーク)のメンバーに相談してみました。新潟県で就職先を探すのは難しいだろうということでした。

 

東京や神奈川では障害者枠の公務員試験があること、飯田橋の職安には障害者対象の求人が沢山あることを知りました。当時はバブル経済真只中だったこともあり、私はたった一社の面接試験を受けただけで就職が決まり、上京することとなりました。

 

現在は弱視の夫と平凡な毎日を

鈴木弘美
あれから約30年。現在は青春時代ほどドラマチックな出来事はなく、東京の下町で弱視の夫と2人、わりと平凡な生活をしています。

 

とはいえ、夫を放ったらかして5カ月間も世界一周に出かけたり、学芸員の資格を取りたいからと、いい歳をして大学に通ってみたりするのだから、少し変わった人間かもしれません。

 

次回予告

次回からは、私が新型コロナウイルスに感染し、ホテル療養した体験についてお話したいと思います。

 

障害者向けの新型コロナウイルス陽性で隔離生活をした情報というのが中々ないので、私自身のエピソードを元に、ホテル療養生活の全貌と対策についてお伝えしていきます。

 

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鈴木弘美

1965年生まれ。新潟県出身。先天性白内障 緑内障 加齢黄斑変性症 視力 0.06。ほぼ白杖を持たない弱視者。補助具はルーペ、単眼鏡、iPadを使用。小学校から高等部専攻科理療科卒業まで盲学校に在学。鍼灸に全く興味が持てず、あまりにも狭い進路に疑問を感じ、ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学派遣事業でアメリカへ。その頃、日本弱視者ネットワーク(旧弱視者問題研究会)と出会い、上京し一般企業に就職。趣味は海外旅行とブラジル音楽。2013年に世界一周旅行を実現。この時に訪れたルーヴル美術館に感動し、放送大学、東京情報大学で学芸員資格に関わる科目を履修。また2020年には総合旅行業務取扱管理者資格を取得した。 Kindleにて「ヨルダン? 行って帰って120時間?? 何、やってたの???: ヒロミトラベル土産ばなしヨルダン編」というタイトルでヨルダン旅行記を公開中。


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