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なぜ僕はギャンブル依存症になったのか?18歳でサラ金から借金した僕が思うこと。

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みなさん、始めまして。東京でココトモハウスというコミニティの管理人をしているジョジョです。

 

突然ですが、あなたは人生で最もお金と時間をかけてきたことを聞かれたらなんと答えるだろう?例えば家族やキャリアのため、または趣味のためという人もいるだろう。お金と時間の使い道はいろいろあり、答えに悩むのではないだろうか。

 

僕は一切迷いなく答えることができる。

 

僕がこの36年間の人生の中で、もっとも時間とお金を掛けてきたこと、それは”ギャンブル”だ。

 

ジョジョ
僕の青春時代は、ただひたすらにギャンブルと借金に追われる毎日でした。

 

200万円以上の借金を背負っても辞めれなかったギャンブルを辞めることができた実体験と僕のギャンブル依存症になった原因の考察もお伝えしていきますので、参考にしていただければ幸いです。

僕のギャンブル依存症体験談

今でこそ、生き辛い人を支える活動をしているが、当時はパチンコ屋に入り浸り、しまいには18歳にしてサラ金から金を借りギャンブルをするという、カイジを地でいくような生粋のギャンブラーだった。

 

給料日前には財布に小銭しかなく、1日1食水だけでしのぐことも日常茶飯事。友達の結婚式を金欠で断ったことも数知れず・・。

 

ジョジョ
辞めたくても辞められない。それが依存症の怖さなんです。

人生でもっとも自由で、そして充実した時間になるであろう20代の大半を、僕はギャンブルに費やしてきた。今日はそんな僕のギャンブル依存所体験談をお話したいと思う。

 

始めてギャンブルをした日のこと

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僕はギャンブルを始めるまで、自分をいたって真面目な人間だと思っていた。学業もそこそこ優秀、小、中、高校時代はサッカー部に所属。大学もなんなく第一志望の学校に入学が決まり、順風満帆な人生を送っていた。

 

それこそ、ギャンブルなど考えたこともなく、パチンコ屋がそこにあったことさえ気が付かなったくらい、ギャンブルとは無縁の生活だった。

 

そんな僕がギャンブルを始めたきっかけは、一緒にパチンコをしてみようという何気ない友人の一言だった。

 

18歳になったばかりの当時は、まさか自分がパチンコ依存症になるなんて思いもよらず、

 

ジョジョ
僕も大人になったんだなぁー!

 

と馬鹿なことを考えながら、軽い気持ちでパチンコ屋に足を運んだ。

 

そんなパチンコ初体験。僕の人生を狂わせるきっかけとなった一日のことを、今でも鮮明に覚えている。打った機種は、パチンコの代名詞というくらい有名な海物語。累計300万台以上売れている、モンスターマシンだ。

 

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わずか2時間で2万円に膨れ上がった

そしてこの海物語でもっとも熱い演出がある。それは魚群演出だ。魚群が現れるところに大当たりあり。始めてパチンコをしたこの日、私は魚群探知機かのごとく、魚群をみつけまくり、わずか2時間で3000円を2万円に増やした。

 

2万円といえば、当時のバイト代でおおよそフルに3日間働いてようやくもらえる金額だ。下げたくない頭をさげ、笑顔を作り、3日間働いてやっと得られる対価。それをわずか2時間で手にしてしまったのだ。

ジョジョ
よくいうビギナーズラックというやつですね。後々地獄をみると知らずに。

この日から、僕はすっかりパチンコの虜になった。始めは少し恥ずかしくもあり、友達に誘われて仕方なく、という体を装っていたが、少したつと一人でパチンコ屋にいくようになった。パチンコが楽しかったことも、パチンコ屋に通った理由の一つだが、僕がパチンコ屋に通ったのは、そこしか居場所がなかったからかもしれない。

 

実はこの頃、僕は学校になじめずにとても苦しんでいた。決められた毎日をこなしていけばいい高校時代と違い、大学は自由だ。授業も自分で自由に決めることができるし、クラスで集団行動をすることもない。でもその自由は僕にとっては不透明で、自分が何をすべきかがわからず、大学に通う意味を見出せずにいた。

 

学校にいかなくてはいけないのに、いけない苦しみ。

 

僕はその苦しみから逃れるように、パチンコ屋に足を向けるようになっていた。

18歳にしてサラ金で借金

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週に1度だったパチンコ通いは、2回、3回と増えていき、三か月たったころには、ほぼ毎日のようにパチンコ屋に入り浸るようになった。1日パチンコを打っていれば、5万、10万とつぎ込むことは決して珍しくない。それでもなんとか、少ない給料の中でやりくりしていたのだが、ある日のこと、僕はなんと給料日にそのお金を全額すってしまったのだ。

 

学生だった僕のバイトなんで、たかがしている。毎日パチンコをしていれば、そんな日はいつかは訪れることはわかりそうなものだが、僕はそんな想像力も失うほどにパチンコ沼にはまっていたのだった。

 

全財産をなくし、パチンコ屋からでた僕の頭の中は真っ白。風邪でもないのにめまいがし、地面がまわっている気すらしていた。携帯代も払えない、いや、明日の食費すらままならない。普通なら、ここで親や友達に相談できたんだろう。しかし、僕はギャンブルにお金を使ったことが恥ずかしく、誰にも相談できなかった。

 

自暴自棄になり、逃げるように立ち寄ったコンビニで偶然目に飛び込んできたのが、”キャッシング”という言葉。そうだ、これなら誰にもばれずになんとかできる!当時はサラ金全盛期。お茶の間に平気でサラ金のCMが流れてた時代。金利が30%とべらぼうに高い代わりに、無職であろうと学生だろうと主婦だろうと、お金を借りることができた。

ジョジョ
いまでは信じられないですが、ゴールデンタイムにサラ金のCMがバンバン流れていました。

僕は藁にもすがる思いで、サラ金に電話し、震える足で言われるがままに無人契約機に向かった。まさかこの時借りた6万円が、将来200万円の借金になるなんてことは知らず・・。

ついに借金は多額の100万円の大台に

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わずか18歳でサラ金から金を借りた。この時点で、僕は誰かに相談すべきだったんだろう。でも誰にも言うことができなかった。

 

大丈夫、6万円なんて一回当てればすぐに返せる。でも現実はそんなに甘くはなかった。10万、20万と借金は増えていき、2社、3社とサラ金から借金を重ねた。

 

それでも、僕は「普通の自分」を必死に演じていた。サラ金で借りた金で友達と旅行に行ったり、気が向いた時に大学にいっては、軽い冗談をいったり。でも頭の中はいつもギャンブルと借金のことで一杯だった。

 

そんな現実から逃げるように、僕は金を借りてはパチンコ屋に通い続けた。しまいには、借金を返すために時給の高いパチンコ屋でバイトをしてパチンコにお金を使うというわけのわからない生活をしていたのだった。

 

ジョジョ
パチンコ屋の仕事はきつく、早く辞めたいと思っていましたが、返済のために辞められませんでした。

 

そしてある日のこと、僕はバイクで事故を起こし、50万円の修理代を背負うことになった。大学は当たり前のように留年し、学費も自分で払っていかなくてはならない。もちろん、支払いのあてなどなく、この時も僕がとった手段は借金だった。

 

とうとう僕の借金は100万円を超え、金利だけで月に5万円も返すようになっていた。

 

果てしない孤独の海に沈んでいく

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社会人になっても、ギャンブルは一向に止まることはなかった。むしろ、周りと自分を比べ、僕はますます現実から目を背けるようになった。

 

周りの友達は、結婚をしたり、昇進をしたり、どんどん人生のステージをあがっていく。しかし、僕は借金の返済に追われ、ゆっくり自分のキャリアを考える暇もなく、ただその日暮らしの生活に身を任せるのみ。

 

ジョジョ
遊びにいっても、お金がなくてファミレスで好きなメニューも頼めない。そんな貧乏生活をずっと続けていました。

 

誰かに本当の自分を知って欲しい。でも言えない。まるで自分が殺人犯であることを隠して暮らしているように、自分は世界でたった独りぼっちのように、僕は孤独という海の中に沈んでいったのだった。

 

恩師の死が治療へのきっかけに

始めてサラ金で借金をし、もう二度とギャンブルはしない。そう誓ったあの日から10年がたとうとしていた。とうとう借金は200万円を超えた。もうギャンブルで当てて返せるなんて思っていなかった。

 

それでも、自分にはパチンコ屋しか居場所がなかった。

 

そんなある日のこと、大学の友人から連絡があった。それは大学時代のゼミの恩師、K先生の葬儀の知らせだった。K先生は、ほとんど大学に通っていない僕をゼミに入れてくれ、卒業まで面倒をみてくれた恩人だ。先生がいなかったら、借金してまで払った学費は無駄になっていただろう。

 

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ジョジョ
卒論に添えてくれた先生の言葉。ちなみに卒論のタイトルは、「自殺とモラトリアム」でした。

大学時代の友達はきっと、今頃社会人として活躍してるんだろうな、そう思うとみんなとは顔を合わせたくなかった。でも先生に一言お礼を言いたい。

そう思い、僕は葬儀にいくことにした。

 

当日、僕は余裕をもって家をでた。少し早く着いたので、どこかで時間を潰そう。そう思って入ったのが、パチンコ屋だった。1時間たったころには、財布はすっかり軽くなり、香典のお金も使ってしまっていた。

 

ジョジョ
使ってはいけないお金を使ってしまうことは、依存症の特徴の一つです。

 

普通の人なら、ここで辞めているはずだ。しかし僕は違った。「せめて香典の分だけでも取り返さないと。」

 

残り少ないお金をさらにパチンコ台につぎ込んだ。もう、葬儀の時間はとっくに過ぎて、携帯には、大学時代の友人から着信が何件も入っている。しかし、僕は店からでることはなく、そのままパチンコ台に座り続けた。

 

そして、財布の中はからっぽになった。僕は、パチンコ台に座りながら泣いた。恩師の葬式にすら出られない自分情けなくて、人目も気にせず泣きじゃくった。店からでて、人気のない道路に寝転んで、ただひたすら泣いた。

 

そして僕はこの日から、ギャンブル依存症と向き合い、治療していくことを決めた。今思えば、先生が僕を助けてくれたのかもしれない。

体験から考察した僕のギャンブル依存症の原因

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あの日から、依存症の治療を行い、何度かスリップを繰り返しながらも、今は落ち着いた日々を過ごしている。そして今思うことは、同じようにパチンコをしていたはずなのに、なぜ自分だけが依存症になったのかということ。

 

僕が初めてパチンコをした日、僕を誘った友人は、依存症になることもなく、適度にパチンコを楽しんでいた。周りにもパチンコをする人は沢山いたにも関わらず、依存症になったのは自分だけだ。

 

ジョジョ
僕をパチンコに誘った友人は、借金をすることもなく、今や結婚してマイホームを持つパパになっています。

 

振り返れば、パチンコ屋は僕にとっての逃げ場所だったんだろうな、と思う。学校にいけない現実から逃げ、そしてパチンコをしているばかりの自分から逃げ、どんどん自分の居場所をなくしていった。

 

本当は、僕は誰かに助けて欲しくてしかたなかった。でも、ギャンブルに負けて、打ちのめされた自分を人に見られることが耐えられず、誰にも打ち明けることができなかったのだ。

 

きっと普通の人だったら、18歳で始めてサラ金に借金しようと思ったあの日、誰かに相談して、別の方法で解決することもできただろう。

 

ジョジョ
自分の心で抱えきれない出来事が起きた時、自分の中に居場所をなくしたとき、人は依存という病気の中に逃げ込んでしまうのではないだろうか。

ギャンブル依存症の自助グループへ

先生の葬式から数日後、僕はギャンブル依存症の自助グループに通い始めた。

 

依存所で一番辛かったことは、お金がなかったことよりも、正直な自分を打ち明けられる場所がないことだ。自助グループに通い始めると、不思議なことにギャンブルはぴたっと止まった。

 

自助グループでは、同じ病気を持つ仲間達と出会ったことで、僕は始めてギャンブル依存症としての自分の居場所を見つけることができた。

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ジョジョ
1周念記念で貰った色紙です。仲間からのメッセージの一つ一つが力になります。

ギャンブルをしている時は、借金さえ返せればなんとかなる、そう思っていた。でもきっと、借金がなくなったとしても、僕はまたギャンブルををしていたと思う。

 

ギャンブル依存症になってしまった原因でもあり、自分に必要だったのは、自分の弱さに正直にいられる場所だったのだと、今なら思う。

 

もしも今、あなたがとても辛い現実から逃げているのなら、私は伝えたい。辛いなら現実から逃げてもいい。でもその前に、誰かに助けを求めてみて欲しい。きっと誰かが、あなたのことを見ている。あなたの仲間になってくれるはずだから。

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普段は就労支援員をしながら、ココトモハウスというコミニティの管理人をしたり、生きづらい人のためのコミニティ、Creeの運営をしています。過去にギャンブル依存症になり、誰にも打ち明けることができなかった自分は世界で誰よりも孤独でした。そんな自身の経験から、この社会に居場所がない人のために何かをしたい、そんな思いで自分の人生を生きています。言葉を通じて、少しでも同じ思いを持つ人達の力になれたら、と思っています。どうかよろしくお願いします。→ココトモハウス


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