※注意※
当記事には、自傷行為の詳細や用語、傷の話題などが含まれます。読んで気が滅入りそうだったり、刺激が自傷のトリガーになりそうな人はブラウザバックで逃ゲロ!!
おはよーございます、寝起きでもないし芸能人でもないのに挨拶はいつも「おはよーございます」な八壁ゆかりです。
今回は連載「崖っぷちブルース」通称「崖ブル」ではなく、イレギュラーな登場であります。
テーマはズバリ、『自傷行為』について。
「八壁〜てめぇ〜この暗い世の中、絶望が蔓延する今、よりにもよって自傷なんて重いこと語りに現れやがったのかよぉ〜」
という読者さまの声が私の耳元で聞こえます。ロックバンド・King Gnuの井口理のウィスパーボイスばりの繊細さで以て聞こえます(すみません趣味に走りました)。
いえ、実はこの記事書くの二回目なんです。これテイク2なんです。
最初ね、崖ブルがいつもおちゃらけてるから真面目〜で固〜いシリアス〜な感じで書いてたらさ
と後頭部がパーンとはじけましてね、
と考え直してコレ書いてるんですよ。
ではなぜ、今このタイミングで自傷行為について書くか?
それは新型コロナウイルス対策における「不要不急の外出は避けよう」という呼びかけ、転じて「いつもは外にいる人らがずっと家にいる」、そしてそれに起因するストレスが生じることに繋がります。
一部の人々は、精神的ストレスが急速に倍増した際、それを『外に』発散することができず、『内側に』、つまり『自分に』向けて発露させる傾向があります。っていうかそれはこの俺だ! だから自傷が15年も辞められなかったのだ!!
もちろん、家族と四六時中同じ空間にいることに不慣れな方が皆手首を切るかと問われれば当然NOですが、可能性がある限り、私は自傷行為の「OG」として、老婆心ながらその予防線を引いておきたいと考えたのです。
また、本稿には自傷者に対してそうでない人がどう接するか、についても書いております。
最後までお付き合いいただければ私が喜びます。
お好きなところからお読みください
自傷行為のパブリック・イメージ
さてさて本題だよ!
レッツ・イマジン!あなたは「自傷行為」と聞いて何を連想しますか?
- リスカ=リストカット?
- 死にたがり?
- 自殺未遂?
- 精神障害者?
- ためらい傷?
- 誰かに対してのSOS?
- もしくは自傷を題材としたフィクション?
何をイメージするかは人それぞれですよね。
しかし中には誤った認識や知識、もっと言えば偏見や先入観を持ってらっしゃる方もいるかもしれません。
そこで本記事では、10歳から25歳まで自傷行為を行っていた私の経験談と、その経験から得た教訓について、独自の見解を述べたいと思います。あくまで「※個人の感想です」っつー注釈が付くアレです。
で。
冒頭でどうしても声高に宣言しておきたいことがございます。手首を切っているからといって、皆が皆死にたがっているわけではないんです。
「じゃあなんでそんなことをするんだ?」
こう聞かれたら、私はこう応えるようにしています。
自傷行為の予備知識、声かけの際の注意
私の時代ですので今現在は分かりませんが、自傷行為に関するスラングはたくさんありました。
たとえば分かりやすいのが「かまってちゃんリスカ」ですね。まんまです。
自分で自分で傷つけたりしていれば、誰かの気遣いや同情や優しさを得られることがあります。それを求めて自傷行為に及ぶことを、私の世代はそう呼んでいました(今もかな?)。
それにひとことに「自傷行為」といっても、リスカやアムカ(アームカット)だけではありません。
自傷行為にも様々な形態があって、刃物で自らを切りつけたりする、一般的にリストカットやアームカットと呼ばれるものが大半の方がイメージするものと察します。
私も一時期経験しましたが、
- 体毛を血が滲むまで抜き続ける
- タバコを身体に押しつける
- 腔内を噛みちぎる
- 瀉血(しゃけつ:血液を抜く行為)
なども自傷行為の一環と言えるかもしれません。
そして、当時ようやくデジカメが普及し、携帯電話でもようやく写メがカラーで撮れるようになっていた時代、自分の自傷行為の生々しい傷跡を撮影し、ネット上にアップする若者が多かったです(今もか??)。
自傷行為は感染してしまう
これの何が危険かというと、自分の傷と比較してしまうことです。
「この人はこんなに切ってるから私・俺ももっと切らなきゃ」
「この人もう切る場所がないくらい傷だらけだ! 私・俺ももっと——」
こんな形で、自傷行為は非常に伝染しやすいです。
実を言うと、私が自傷行為をしていたため、二人の友人がマネて腕を切ったことがあります。
ひとりは後輩で、私をえらく尊敬してくれていた子でした。
「先輩みたいになりたかったから、真似しちゃいました」
もうひとりは、失恋して気分が悪かった時に、
「そういや八壁がやってたなって思って、やったらスッキリするかなと思って試した」
と語りました。正直、両親にバレて母親が泣きながらビンタしてきた時より辛かったです。
自己嫌悪・自己否定は凄まじかったですが、だからといって自傷を辞めようとは思いませんでした。
八壁ゆかりの自傷行為の歴史
私が最初に自分を傷つけたのは、10歳の時でした。平均的に自傷行為に及ぶようになる年齢が13歳前後とされているので、ちょびっとフライングでした。
よく理由を問われるんですが、あまり覚えていません。カッターで膝を切りました。
今になって思えば、学校でのいじめに近い扱いや、中学受験の準備が原因だったのかな?とも思いますが、あくまでも推論です。
激化したのは中学3年からでしょうか。
先ほど、「ストレスを外に出して発散できる人と内側=自分に向く人がいる」と書きましたが、私の場合、ちょっとした『あてつけ』の意図もあったかな、と今は思います(その意味では私も「かまってちゃん」だったわけですね)。
私はそれまで左上の前腕の、『外側』を切っていましたから、傷も目立っていたと思います。
そして単に切るだけではなく、文字を彫るようになりました。
当時、私が学校に行けていた唯一の理由、換言すれば私の命の恩人である恩師は、当時を振り返り、
「毎回電話が鳴るたびに、八壁が死んだっていう報せかと案じていた」
「教師歴は長いから自殺念慮を持つ生徒とは関わってきたが、死ぬ気はないと笑いながらどんどん腕の傷を増やす八壁が恐かった」
と、後に語りました。
ニューヨークでも自傷行為は続いた
さて、通信制高校に移って高校卒業資格を得た私は、五月には憧れのNYに飛んでいました。ですが、実はその2ヶ月前、とんでもない超展開があったんです。
人生初彼氏ができたんです!(笑ってもいいよ)
だからね、遠恋しとったわけですよ。英語ではLong Distance Relationship、略して「LRD」とか呼ばれるあれですよ。
そんでおいらの病状はガンガン悪化し、一人暮らしになったら誰も止めませんから、今度は左腕の前腕の『内側』を切るようになりました。
理由は、内側の方が「痛み」が強く、「出血」も多く、「傷」が残りやすいからです。
顔面を切ったのもこの時期です。某サイトで、
「顔を切ったら痛いし洗顔の度に染みるから辞められるよ」
という妙ちくりんなアドバイスを見つけ、実践したのですが、いや、顔は痛かったけどそれなら腕切るわーっつって左腕に戻りましたね。
ショッキングな出来事が
そんな中、風邪を引いて日本人コミュニティの病院に赴いた際、そこの医療関係者に、少々ショッキングなことを言われます。
採血で反射的に左腕を出してしまった私が「傷だらけですみません」と言うと、その女性はこう返したのです。
「傷、全然浅いじゃない。私の知ってる子はもっと彫るように切ってるわよ」
呆然と、しました。そして、強迫観念が発生しました。
- 『私ももっと深く切らなければならない』
- 『この程度の傷で偉そうにしてはいけない』
- 『とにかくもっと切らなくてはならない』
言うまでもなくこれで悪化していた自傷が余計に悪化。もともと同じ箇所を何度も切る傾向の強かった私は、昔彫った文字をもう一度切りつけてみたり、とにかく切り続けました。
そうこうしている内にイラク戦争になり、渡航費が安くなったので、遠恋中の恋人がNYに遊びに来てくれました。
彼はもちろん私の腕を見て驚いていました。カッターナイフを没収されましたが、私はもともとカッターの刃を使って切ることが多かったので、隙を見て切っていました。
そしておそらく彼が私の両親に報告したのでしょう、ある夜両親から電話があり、「元気に大学に行っているとメールはしてくるが、本当のところどうなんだ」と問われました。
自傷のことを隠すのも、セラピストに、本当は強迫性障害ではなく境界性人格障害で原因は母にあるからパニック障害だと嘘をつけ、と言われ何も言えなくなっていたことも。
その二日後には親父がJFK空港に降り立っており、一週間後、私は帰国しました。
入院して人生最大のピンチに
帰国した私はすぐに都内の閉鎖病棟に入りました。
そこでも密かに刃物を持ち込んで『無意識に』自傷行為に及び、我に返って落ち着いてから
と猛省しながら、とりあえず傷を消毒してもらおうと看護師に相談したところ、『拘束』されました。
あれはマジで「人生最大のピンチ」と今でも言えると思います。
同意書にサインはしていたのですが、ごっつい鎖の付いた革のベルトで胴体と四肢を文字通り『拘束』され、尻を出されたと思ったら睡眠導入剤を注射されすぐに意識を失っていました。
その後諸々事情があり、私は退院しましたが、あの閉鎖での経験は、何があっても忘れられません。
よもやの自傷行為のピークが今更やってきた
「そんなに切ってたなら大変だっただろうなぁ、その当時」
ここまで読んで、そんな風に思ってくださる方がいるかもしれません。
しかし、私に「自傷最悪期」は、退院後でした。
両親と一緒に生活できないと気づいてしまった私は、これまた迷惑な話ですが、恋人と半同棲のような状態になります。社会人だった彼は、朝早くに仕事に行き、夕方まで家を空けていました。
その頃、私の自傷は以下のような感じでした。
朝起きて、洗顔ついでにサクッと切る。
テレビを見て笑いながらザクッといく。
歯磨きをするのと同じ感覚でザッと切る。
もう、自傷行為が完全に生活の一部になっていました。左腕はぼろぼろになり、今でも傷が残っています。
しかし自傷が頻繁になるとどうなるか、分かりますか?
答えはズバリ、「周りも慣れてくる」のです。
ですから、もっとリアクションが欲しければもっとたくさん切る、もっと深く切る、という暗黒の自傷スパイラルに陥る他にないのです。私も一度はそれがたたって10針縫いました。
では、非自傷者だけど自傷者の周囲の人間は彼らにどう接すればいいのでしょうか?
自傷行為を辞めたキッカケと原因
私は、25歳までアームカットが止まりませんでした。
その当時、私は家庭の事情で一人暮らしをしていましたから自傷はし放題だったのですが、徐々に卒業しつつあり、またバイト先の制服が半袖だったので、「自傷欲」が出てもたえていました。
その方法は、たとえば、
- 心情をすべて『手書きで』ノートに書き出してみたり
- 好きな音楽を爆音で流して歌ってみたり
- あるいは実際にカラオケに行ったり
- 今までにできた傷を使い終えたボールペンでなぞってみたり
という他者に迷惑をかけない、自己完結できるものが多かったです。
あくまでも私の場合ですが、自傷はストレスを『外に』発散できないことが最たる原因だったので、能動的にアウトプットを試みていました。
それが私が自傷行為をやめるキッカケとなり、卒業することができました。
自傷行為をしている人への接し方や声掛け
「そんなことやめなさい!!」
と頭ごなしに叱りつけるのは、私の見聞きした範囲ですと逆効果です。
自傷行為は、メンタル的に追い詰められ、そのストレスなり葛藤なりを『外に』噴出できない人種の、いわば最終手段です。
それをろくに話も聞かずにただ「やめろ!」否定されるというのは、『最終手段』そして『自分自身』すら否定されるも同義、極端なケースですとその先には『自死』しかありません(経験者談)。
では、一体どう接すればいいのか?
これは、『希死念慮』を口にする人々にも同じことが言えるのだと思いますが、まず受け入れて、そこから徐々に頻度を減らし『卒業』するのを見守る、というプロセスが必要かと思います。
「自分を傷つけるくらい辛いんだ。」
と、まずは自傷者の精神状態を受け入れることが肝要で、そして、ここでさらに難しい判断が必要なのですが、以下、二つの選択肢に分かれます。
「自傷行為は、感受性の豊かな若者は少なからずやってることだから気に病まなくていいんだよ」
と声をかけ、『自分を傷つける自分はおかしい』という強迫観念から解放するパターン。
これで自傷者の苦しみが楽になれば儲けものです。
なぜなら、もう1つのパターンとして自傷者は、『自分は人とは違う特別な存在だから自傷する』と考える節があるからです。
そういったタイプに「みんなやってるよ」というタイプの声かけをしてしまうと、これマジ人それぞれですが、「否定された」、「馬鹿にされた」、「私・僕は特別なはずなのに」という混乱に陥るケースがあるのです。
冒頭で述べた通り、自傷行為には『傷の数だけワケがあります』。
私だって自傷の理由は15年間でころころ変わりましたし、自傷の方法や箇所も変化していきました。
そういった範囲の広い問題に対して、十把一絡げにマニュアルベースな対応をしていたら、たとえば上に挙げた「自分は特別」と思って自傷に手を染めるタイプを無意識に深く傷つけることになります。
自傷行為の接し方にマニュアルは不要
ですからまず、マニュアル、消しましょ。
そんで、経験則、デリート。「あの子はこうだったから、この子もこういう理由のはず」みたいな経験は、こと自傷行為に関してはあまり役に立ちません。
その代わり、目の前にいる自傷者のことを、人間として、よく知ってみましょう。
そして相手のことを理解した上で、「個別の対応」を練って、接していく。
とても非効率的ですし時間も労力もかかりますが、私は自分の体験から、「自分のせいであの子に傷が付いた」という冒頭の経験は二度と繰り返したくありませんし、それはこれを読んでくださっている方々も同じではないでしょうか。
最後に自傷行為の原因はストレスだけじゃない
話を新型コロナウイルスの影響でストレスの溜まりやすい原状に戻します。
最初に述べた通り、皆が皆、ストレスやフラストレーションで自傷行為に走るわけではありません。
もちろん、「じゃあ外に発散すりゃいいんだろ?」と言ってDVをするような輩が現れても困りますが、ストレスフルな小さなハコ、たとえば自宅であったり、閑散とした教室であったり、ずっと同じメンツで四六時中過ごさなければならなくなった時、本記事で長々と述べたような事案が起こる可能性は本当にゼロでしょうか?
そう思ってやみません。
しかし、この記事は、おそらくは、願わくば、コロナ騒動が落ち着いてからも少しばかりはニーズのあるものになって欲しいと思いながら書きました。
これはいわば、元自傷者からの懇願でもあります。
この記事をキッカケに、自傷行為をする人が減り、自傷行為をしている方への接し方のヒントになれば幸いです。
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最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。