——え? 誰って? 何者って? 知らんって?
そらそうだ、連載ストップしてから二年以上経ってるからな……。
忘れてしまったという方は、下記のページを見て思い出してください。
▼参考▼
障害者だってオシャレしたい!〜八壁ゆかりの崖っぷちブルース第1回〜
では改めまして、「八壁ゆかりの崖っぷちブルース」再開の宣言をここに高らかに叫びたいと思います!不定期連載という形にはなりますが、また皆さまのお役に立てるような、そこまでいかなくても、くすっと笑えたり、ちょっとした気づきがあるような記事を書いていこうと思いますので、何卒よろしくお願い申し上げます!
復活祭の今回は、連載をストップしていた約3年間にワタクシが体験したことを紹介させていただきたい次第。なお、これは一応「前篇」ですので、次回も空白期の体験談になる予定です。
……色々あったんぜ、こんな俺にもよぉ……
(ハードボイルド風)
お好きなところからお読みください
タバコ依存の私が禁煙成功!で終わっていたわけだが
まずはタバコ・喫煙に関して、残念なお知らせから。
この度「崖ブル」を再開する運びと相成った際、過去記事を全て読み直したのですが、ラストの記事が「ヘヴィスモーカーだった私が簡単に禁煙成功した!」といった涙がちょちょぎれるといった内容で、嗚呼、これを読者さまに報告するのは本当に心苦しいのですが、嗚呼、とりあえず時系列で書きます。
▼禁煙成功に関する前回の記事▼
精神障害者でタバコ依存だった私がなんの努力もせず禁煙成功した方法!八壁ゆかりの崖っぷちブルース 第9回
前回の記事に書いた通り、私は友人から警告を受けていました。以下、そのまま引用いたします。
私の友人で、精神的な問題を抱えている元喫煙者=禁煙外来に通って禁煙に成功し、すでに3年以上吸ってない奴がいます。彼はいまだに、タバコを吸う夢を見ると言います。そんな彼は私に言いました。
「メンタルが不調の時、『タバコを吸ったら楽になるかも』と思うけど、絶対にそれに負けるな」
彼自身、3年以上その欲求と戦い続けているそうです。
これに対して私は同記事で「それな!」といった返しをしており、「タバコを吸ったら楽になるかも、という欲求が強いけど、薬とVAPEで何とかしたい」といった旨の発言をしています。
また、この友人とは別途、禁煙外来に通って五年間禁煙成功している親族に会いまして、以下のように警告されました。
「ゆかり、いっくらメンタル的にしんどくなっても、一口もタバコを吸ったらあかんで。一本すら吸うたらもう終わりじゃけん」
(筆者注:八壁は中国地方の生まれなので親戚の話し方は大体こんな感じです)
その時は「分かった分かった」と流して楽観視していたのですが、嗚呼、もう皆さま展開読めてらっしゃいますね……。
予想通りの展開に…
そうです、私はその後、メンブレ(メンタルブレイクの略、最近若い子から習ったスラング)を起こし、自宅に放置してあった「マルメラ」こと「マルボロ・メンソール・ライト・8ミリの短い方」に手を出してしまったのです。
一本吸っただけで、速効でスモーカーに戻りました。そんで、現時点で一箱600円もするマルメラを月に2カートン以上吸う立派な愛煙家に戻ってしまったのです……(号泣)。
なお、現在はVAPEと併用しつつ、遅々たる歩みですが本数を減らしつつあります。
シガレットケースを買い、一日に吸っていい本数だけセットし、それを徐々に減らす感じで、先日10本で済んだ時は達成感で全身を包まれました。
黙れ俺は一日一箱吸ってたんだよ!!
しかし、思わぬ方法で禁煙に成功している方がいらっしゃいます。
私の年上の友人なのですが、とある手術後に、
「半日吸わずに済んだから、どうせなら一日吸わずにいようかな」
「一日吸わずに済んだから、もう一日吸わずにおこうかな」
といった具合でタバコを吸わなくなり、なんとそれが、20年も続いているというのです!!!
そんな方も、未だにタバコを吸う夢を見るとおっしゃっていました。
「剥離(はくり)」と勝手に命名した、解離性障害の症状
話がいきなりポップになりますが、2020年にとあるドラマが放送されました。
ダブル主演:星野源&綾野剛、脚本:野木亜紀子、主題歌:米津玄師、そしてラスボス:菅田将暉という恐ろしい布陣のこの作品、その名も「MIU404(みう・よんまるよん)」、ご記憶の方もいらっしゃるかと思います。
引用:TBSチャンネル
私は元々、星野源は大人計画経由で存じておりましたし、野木亜紀子さんは過去作から注目していた脚本家さん、米津玄師についてはボカロP時代からの大ファンで、菅田将暉という大人気俳優を知ったのも、二人のデュエット曲「灰色と青」がきっかけでした。
綾野剛に関しては、「なんか良い役者」、「音楽に詳しいらしい」といった事前知識しかありませんでしたが、ドラマ本篇を毎週夫と共に拳を握り締めながら鑑賞し、放送終了後はお互い感想や考察を語り合うほどのハマりぶりでした。
ドラマ放送中は、毎回綾野剛という俳優の演技力に圧倒されていましたが、そこまでのめりこむということはなく。しかしながら、彼の映画が公開されるタイミングで、綾野剛に密着ドキュメンタリー!的な、一時間にも満たないテレビ番組をたまたま見たのです。
彼の演技に対する真摯でまっすぐな熱情、周りに対する配慮や心配り、役作りのために(番組放送当時)17年間美容室に行ったことがないという徹底ぶり、「レッスンなんて受けてなかったから、努力が一番の近道だった」といった名言、っていうかクライマックスでRadioheadの「Fake Plastic Trees」なんて名曲を流すだけで泣けるんだよチクショー!!
(深呼吸)
といった経緯で、私は見事、「綾野剛沼」に落ちました。そして、ネトフリやらアマプラやらを駆使し、彼の出演作を狂ったように鑑賞しました。
ちょっとした余談ですが、私はKing Gnu(きんぐ・ぬー)が大好きなので、綾野剛と常田大希が一緒にインタビューを受けていたり対談していたりすると俺的パラダイスでした。
そして、Twitterのプロフィール欄に「趣味:綾野剛」と表記してから一年半ほど経った頃でしょうか、解離性障害の、昔からよくある症状が出てしまいました。
私は「解離」という言葉・症状が広義過ぎるので、自分で勝手に「剥離(はくり)」と呼んでいるんですが、それが何かというと、
ある瞬間、突然、それまで大切にしてきた物事・人物に対する興味や思い入れ、好きだった気持ちが、糸が切られたように消滅してしまう現象
です。
※この「剥離(はくり)」は私が勝手に命名した造語であって、正式な障害や診断名ではありません。どうか誤解なきようお願い申し上げます※
これを人に言うと、「飽きただけじゃね?」と軽く流されてしまうのですが、飽きにしてはあまりにも突然ですし、自覚もありません。綾野剛の場合は、それまでの彼に対する熱量が一瞬で霧散し、以降まったく興味が持てなくなり、ただただ、
と、むなしさと喪失感、胸に穴が空いたような感覚に襲われました。
初めてのことではありませんでしたし、一年半という期間は割と長く続いた方なのですが、やはり悲しかったですね。
過去に、私はこういった「剥離(※あくまで造語)」を数多と経験してきました。後述する発達障害と関係しているかもしれませんが、めっちゃ衝動的なんですね、自分で止められないほど。以下に二つだけ例を。
例1:10年以上追いかけ続けていたバンド
そのバンドは基本パンク(グランジ寄り)がルーツなのですが、音楽性を驚くほど変え続け、ファンの入れ代わりも元来多い方でした。
しかし私は、彼らのライブでの爆発的かつ死を覚悟するような迫力が大好きで、十年以上、音楽性が変化しても追い続け、ライブ遠征も何度もしました(水戸、いわき、仙台など)(しかも一度は開放病棟への入院中に)(何故か東北多いな)。
ところが、追いかけ始めて十二年目になった頃でしょうか、いつも通りライブを楽しんでいたのですが、終演後、
とライブの記憶が抜け落ち、また、帰宅して翌朝起きると、ライブに行った記憶はもちろんのこと、そのバンドに十二年ほど捧げ続けた愛情、応援したい気持ち、メンバーさんとお話ししたり写真を撮らせていただいた経験すら健忘していて、ライブの物販で買ったバンドTシャツを発見した時は、
という、頭が『?』で埋め尽くされるような感覚に襲われ、一緒にライブに行っていた(と思われる)友人に事実確認をしたら、俺はその前夜のライブを、いつも通りエンジョイしていたと言うのです。
その友人は私の障害を理解してくれていたのですが、その後私がそのバンドに一切興味を持てない、好きだった気持ちも思い出せない、ただただそのバンドへの愛で埋まっていた12年がとても遠く感じる、と言うと、
「私はゆかりの障害を知ってるから、理解はできるけど、もう一緒にライブとか行けなくなるのは悲しい」
と言われました。
この『剥離』から十年以上経ちますが、私は今そのバンドが何をしているか、まだ活動しているのか否かすら知りません。知ろうという気持ち・欲求も、一気に『消失』してしまったのです。
この時は、綾野剛とは違い、『存在ごと剥離した』というタイプだったので、重い喪失感や虚しさはありませんでした。しかし『あのバンドが好きだった』という事実は、まるで無機質なデータのように、私の頭に記録されています。これを当時の主治医に相談すると、「記憶の離人化」といった説明を受けました。
あくまでも私の場合ですが、この『剥離』は有名人などではなく、友人知人、そして無機物にすら発動します。
例2:無機物の例、ノート篇
私は元々「文房具マニア」で、特にノートを買いまくる時期がありました。
元々小説を書いているので、作品毎にネタ帳が必要ですし、自分の心情を書き殴るためのノート、作詞作曲にまつわるノート等々、用途は多かったです。
しかし、実家を出て夫と同居し始めてから、私の「ノート・コレクション」は膨大な量になり、必要以上に、中には高価なノートまで買うようになりました。
最初は普通の、B5サイズの横罫線の7ミリか6ミリを愛用していましたが、その後ドット罫線にハマって買い漁り、かと思いきや、ノートではなくルーズリーフを集め始めたり、またノートに戻ったものの今度は5ミリ方眼を集め始める、というクレイジーぶりでした。以下の画像はその『ほんの一部』です。
ノートは物体であり形として残るのでもしかしたら後に使用できるかもしれませんが、今私が愛用しているノートはかなり特殊なデザイナーズ・ノートなので、もし私がそのタイプのノートで今後書き続けるとなれば、上の画像や他のノートは単なる紙切れの塊になってしまいます。
話を綾野剛に戻しますと、言うまでもなく、私は今現在、綾野剛氏の活動状況をまったく知りませんし、先述のバンドと同じく、知りたいという欲が消え、無関心になりました。単に飽きたのであれば『ああ〜好きだったなぁ』という「回想」ができるかと思うのですが、綾野剛さんは、そういった気持ちがすっかり頭から抜け落ちております。
性自認の揺らぎ 〜なして今更〜
私は、以前の記事をご覧になっていた方ならご存知の通り、一人称が「俺」になることが多いです。それは今では『俺っ子』なんていうステイタスになっていますが、私の時代では「俺女きめぇ」と軽蔑されていました。
そもそもの話、私は23歳まで限りなくトランスジェンダーに近い状態にありました。
スカートを忌避し、赤いランドセルを憎み、幼少期は弟の男性器を見て、
と母親に泣きついていたそうです。
(※この話に関しては、別途記事を書かせていただきます!)
忘れもしない2006年、家庭の事情で独り暮らしをしていた時は、乳房を潰す下着を購入&着用し、バイト先の喫茶店ではウエイトレスではなくウエイターの制服を着させてもらって、公共の場でも堂々と男子トイレを使っていました。
そこまで思い詰めていた時期に、ひょんなきっかけから徐々に「女でもいいか」と強迫観念から解放され、それからは「女子化計画」と銘打って、レディースの服を着るようにしたり、友人にメイクを教わったり、スカートを穿いたりもしました。
そして夫と出会い、『女性』として男性と『結婚』しました。
どうあがいても女性です。
しかしどういうわけか、ここ一年弱でしょうか、なんとなくまた性自認が揺れているというか、ネット上のみならずリアルでも「俺」を使用したり、髪をベリショにして逆立てたり、男性的な言葉遣いをしたりするようになりました。
一人称が「俺」になっても、夫が許してくれるので普通に使います。つか夫、寛大過ぎね?
お洒落の一環としてブラジャーはしますし、メイクもします。
しかし、ジリ貧故に今季は一着も服を買わなかったのですが、冬を乗り越えたのはほとんどが過去に購入したメンズの古着でした。
自分でも不思議に思います。
一度、性自認が女性になったのに、何故今になって、しかも結婚している状態でなんでまた、と。
ただ、以前のように「男になれなければ死ぬしかない」といった危険思想はありませんし、何より夫が受け入れてくれるので、
と思っています。
38歳にして発覚! 俺ってば発達障害もあったん?!
一昨年の夏、仕事で知り合った友人に、
「おまえ絶対ADHDだよ! 検査受けた方がいいよ!!」
と言われたので、受けました(素直)。
現在一般的に使用される検査は「WAIS-Ⅳ(うぇいす・ふぉー)」と呼ばれるもので、知能指数も分かります。
その当時私は、「なんか上手く話せない」、「話が脱線する」、「滑舌が悪くなった?」と自分でも悩んでおり、友人に『発達障害』という可能性を提示されたので、素直に受けることにいたしました。
▼参考▼
【発達障害の体験談】診断を受けるまでの流れ・費用・必要なものまとめ
ただ、3時間にわたるWAIS-Ⅳを受けた時、私のコンディションが最悪であったことと、2回に分けて受けたことは留意しなければなりません。
一度目は検査室に入った時点で幻聴が聞こえており、真夏だったので途中で軽い熱中症状態になって、その一ヶ月後に残りを受けたのです。
そして気になる結果は、
思いっ切りADHDでした。
しかし、これには私自身、少々疑問がありました。と申しますのも、私は幼い頃にハイパーアクティビティ、つまり多動症的なエピソードをまったく持っていなかったからです。それどころか、中学受験のために塾に通い、毎日夜遅くまで『集中』して『同じ机に向かって長時間勉強』していたのです。
それを主治医に言うと、
「まあ昔で言うADDやな」
と、軽〜く返されました。ちなみに私の主治医の「鼻毛先生(仮名)」は大阪出身です。
それはさておき、ADDの名前だけは知っていたワタクシ、調べてみたら、
「不注意優勢型ADHD」
という名前に変更されており、特性としては、「集中力が続かない・ものをなくしやすい・周りに気を散らされてしまう・見落としが多い・整理整頓が苦手」、といった、
な感じでした。
ただ、私の体感からすると、こういった症状は、ここ三、四年間で急激に、まるで横殴りの雨のように私に襲ってきたように感じています。
正直に書きますと、二十歳の時に当時最新だった知能検査を受けた時は何の異常もなく、IQも人並み以上に高かったのです。それが今回の結果では、IQが20以上も下がっていました。
こればかりは謎です。
今は、集中困難という昔からある症状(主に本が読めないという致命的なやつ)に加えて、衝動性の異常な高さ(これも昔から)、整理整頓ができなくなって汚部屋と化している自宅(これは最近)、といった特性に対して学び、認知行動療法やマインドフルネスの勉強をしたりしています。
おわりに
というわけで、長くなりましたが、こんな感じの体験をしていたよ〜んというご報告でした。
でもこれ前篇ですからね! 後篇はもうちょっとシビアな出来事も書く予定だよ!!
刮目せよ!!
——とまあ、こんな奴ですが、今後ともよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
連載シリーズ:八壁ゆかりの崖っぷちブルース