初めまして、ジュンと申します。
私は発達障害を抱えており、その他にも吃音(きつおん)の症状を幼少期より持っています。
そういった背景があり、昔から「ふざけているのか?」「もっとゆっくり話していいよ」などと言われることが多く、特にコミュニケーションの部分で生きづらさを抱えて生きておりました。
私が吃音を受け入れられたキッカケは「写真撮影」だったのです。
今回は、写真撮影を通して人とのコミュニケーションを重ね、吃音でも出来る仕事があるという事に気づいたきっかけをお話させていただきたいと思います。
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吃音とは
吃音を簡単に説明いたしますと、言葉がスムーズに出てこなく、話すという事に難儀する症状の事です。
「おはようございます」と言おうとしても初めの「お」が言葉として出てこなくそれを言い始めるまでに時間がかかる。
「お、お、お、お、おはようこざいます」と初めの「お」を連発してしまう。「おーーはようございます」と最初の「お」を伸ばさないと話せないといった症状です。
どもりという言葉自体、近年では差別用語や放送禁止用語とされているためほとんど使われていないという現状です。
吃音が原因でコミュニケーションが苦手に
吃音を知らない人からしたら、ふざけて話していると思って怒ったり、緊張しているからそういう話し方になるのではないかと思って「ゆっくり落ち着いて話せば大丈夫だから」と声をかけられる方もいらっしゃいますが、吃音自体言葉の障害で当人自体しっかり話そうとは思っていても、それが出来ないという状態です。
吃音には、人によって言いにくい言葉があったり、逆にこれならあまり吃音が出ないという言葉があったりします。
そのため言えない言葉を言いやすい言葉に置き換えて話したり、ジェスチャー等を交えてなんとか会話を試みようと吃音の方は色々工夫もされています。
そういった吃音に関して、それを持っているという認識で何かしら生きづらさを感じていましたが、吃音に関して自分の中でだんだんと受け入れらるキッカケがありました。
それは『写真撮影』です。
写真と言葉の壁
冒頭で述べた通り発達障害の影響も多分にはあるのですが、 それ以上に吃音で幼少期から話し方をバカにされた記憶がずっとこびりついていたことが主な原因です。
友達も決していなかったわけではないですが、どこかやはり本当に心を開けていなかったと思います。
自分は昔からゲームが好きでしたので、それを通じての友達はインターネットを通じてだんだん増えていきました。
そのゲームの友達を通じてコスプレという物を知り 表現をするのは何も言葉だけではない。
最初はコスプレをする側として仲間と楽しく過ごし そのうち、そのコスプレする仲間を撮影する側に 回って表現する楽しみを存分に味わっていました。
それでも、やはりそこに付きまとうのが言葉の壁です。
伝えることに興味を持つように
風景や物などを撮影するなら相手と話す必要はありませんが、 人を撮るとなるとやはり相手がいます。
自分はどんな撮影をしたいのか。
それを伝えるにやはり言葉は必要でした。
時には怪訝な顔をされながらも、なんとかやりとりは出来ていました。
写真撮影を通じて、もっと相手とのコミュニケーションを円滑にして、いい写真を撮る。その想いが、今まで吃音があるので苦手だと思っていた「伝える」ということに、興味を持つことができたのです。
言葉でのやり取りに苦労しながらも、写真撮影にのめりこんだ私は技術を学ぶために、とあるプロの写真家の方と話す機会を得ました。
吃音の当事者だからこそできる仕事に気づく
その写真家の方と最初は技術的な話をさせていただいたのですが、話の途中でその写真家の方が一言
『君は吃音を抱えているんだね』
と言われました。
その時は、「自分の話し方で気分を害されたのかな?」とも一瞬考えたのですが、続けて話されたことを聞いて、その考えは一掃されました。
『君は吃音なのだから、他の吃音の方の気持ちも少しはわかると思う。 同じ吃音の方のための撮影もできるんじゃないか?
君が伝えるのが苦手なのと同じように、こんな写真を撮って欲しいのに吃音で伝える事ができない人もきっといるだろう。
その思いをくみ取る写真家になれるだろう。』
吃音をプラスの解釈に
同じ吃音だからといって、すべて同じように苦しみを理解することは出来ません。
やはり伝える事が苦手な人は、大勢います。 似たような立場だからこそわかる事は多いです。
過去の自分は、吃音だから辛い事ばかりに目を向けていました。
ということに気づくことができたのです。
その気持ちで、今では相手が何を表現したいのか。 相手が伝えたい事を汲み取れるカメラマンとして活動しています。
何が出来るかを考えてみる
「〇〇だから苦しい。」
人それぞれ何か苦しみはあります。
一見するとマイナスな解釈になってしまいがちですが、この「だからこそ」がわかる事に、一度目を向けてみるとあらたな道が開けます。
これを読んでいらっしゃる皆様もそれぞれ何かしら問題を抱えていらっしゃると思います。
その問題を抱えているからこそ、他人に対して何が出来るのではないかと是非一度考えてみてくださればと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
久田 淳吾
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