【ご注意】
今後の記事では、自ら重症熱傷を図ったわたしの体験談が主となります。
できるだけ直接的な表現は避け、オブラートに包んでお伝えしますが、それでも一部刺激的なお話もあります。
この記事によりあなたのトラウマを掘り返し、フラッシュバック等を引き起こすことも考えられますので、
ご閲読の際には十分にご注意ください。
これまで5回にわたり『精神障害者が語る恋愛・結婚・性について』と題しお話してまいりました。
今号以降、『精神科病院の中庭で重症熱傷を図って』というテーマでわたしの体験からなるお話を書こうと思います。
ご病気や障害、生きづらさを抱えるみなさまも少なからず『そのこと』を考えた時もおありかと思います。
これまで、いままで、踏みとどまり、勇気を出して耐え抜いたみなさまに敬意を表します。
今、まさに悩んでいる方、どうか踏みとどまってください。
わたしの伝えられることは限られています。
でもその中で『……もう少しだけ生きてみようかな』と思っていただけたら嬉しいことこの上ありません。
たしかに生きるのはしんどいんです。つらいんです。
でも、そのしんどさの先に一体何があるか、可能性をすべて放棄するのはもったいない、とわたしは自分の体験で感じました。
ここからはわたしの経験をもとにお話しします。そしてまた、先立った妻のお話も出てくるかもしれません。
楽しい話ではありません。くれぐれも無理を押して読まれることのなきよう、お願いを申し上げます。
お伝えしたいのは、今あなたが踏みとどまれるだけの願い、想いです。
お好きなところからお読みください
この重症熱傷の一連の記事について~ルポタージュ⓪~
おおまかに進行をご説明いたします。
- 失ったもの(身体の機能面、審美上の問題、および金銭面が主です)
- 得たもの
- 受傷後の人生に与えた影響
- お読みになった方へのメッセージ
この4項を4回か、多くても5回に大別し、記事もそのように分割して連載とする予定です。
失ったもの、つまりは後遺症などですが、具体的記述にやや専門的な用語を使うことがあります。
それについても、なるべく平易な表現に努めます。
できる限り時系列順に書いてゆくつもりですが、追想など例外もあります。
その際は、必ずではないのですが「これは追想です」などと明記するよう努めます。
それでは、本章を見て参りましょう。
70%熱傷(広範囲重症熱傷)を負ったデメリット~ルポタージュ①~
失ったもの。まず、治療費。
熱傷ユニットを2基備えた最終後送病院(最後の砦となる大病院。ここで救命が無理なら救命の可能性は限りなく低くなる)での治療がメインでしたので、お金もかさみました。
受傷から、
- 入院費
- 合計9回の全身麻酔下による手術費
- 心付(こころづけ。私的謝礼ですね)
- 装具、給食や被服その他雑費
以上しめて500万円。
心付については諸説あります。ただ単にお礼として。
もしくは、お金で治せると信じて。
それから、「こちらにはこれだけ出せる財力があるのだから、失敗したらタダじゃすまないぞ」というプレッシャーとして。(個人的にはどのような理由であれ、あまりよろしくないような気がします……)
後遺症
バンザイをするにも、脇の下が瘢痕拘縮(はんこんこうしゅく)という、傷口が縮んで治癒しようとする生理現象が全身で起こり、体じゅうの関節が程度の差こそあれ、一定以上伸展しない状態に陥りました。
これにより首が回らないとか、手首の関節も可動域がせばまるとか、そういった拘縮は外科的なアプローチを何度も何度もしてきましたが、今でもほぼ全身に残存してあります。
これは関節自体がぎゅいっとちぢんでしまうのではなく、関節の周りの皮膚がちぢむので、開口困難といって口も大きく開けない、ということにもなります。
いまだ歯医者さんに行くとグイグイとかなりの力で引っ張られ、毎回痛い思いをしています。
拘縮はもう治りません。
なぜなら、すでに手術で使いうる自分の皮膚を使い切ったからです。
「自家移植が無理なら他家移植、人工真皮やキチンキトサンなどの被覆材などがあるんじゃないの?」とよく訊かれますが、自家以外では、仮に傷口を覆えたとしても、1週間で拒絶反応を起こしてはがれてしまいます。
例外もあります。一卵性双生児の皮膚がそれです。
「じゃあ臓器移植をされた方はどうなるの?」と思われる方がいるかも知れません。
その場合は、その方がいのち果てるまで、免疫抑制剤を飲み続けることになります。
ボディイメージの変容
誰でもいつかは鏡を見なければなりません。
悪い結果と分かっていてもです。
わたしは焼失での欠損は耳介(耳の上部の方)にとどまりましたが、なかには小鼻を無くされた方、手や足の指を落とさざるを得なかった方、唇が変形されている方、ほか様々な部位を焼失、または皮膚移植のために採皮し、失った方がいます。
皮膚移植の際、自家の採皮部位にも優先順位がありますが、最後から数えて足の裏、頭皮、となります。
足の裏から採皮したことで常に歩行に支障があったり、頭皮の毛根ごと採皮をしたためにレシピエント側の部位に毛が生えるため、永久脱毛、およびウィッグ(かつら)が必要となったりする——そういう世界もあるんです。
わたしは顔面を手で庇いながら焼けたらしく、顔の傷はそこまでではないです。
ですがひと目見て(非礼を承知で書きますが)「ぎょっとする」焼け方の受傷者もいます。
皮膚の構造、審美上の変化
受傷部のほぼ全域、熱傷深度でいうところの深い層にある汗腺がほとんど焼け落ちました。
汗がかけないということは、気化熱での体温調節ができないということになります。
また、表皮角質層は爪や毛髪と同じ痛みを感じない死細胞です。
ですが真皮(表皮と皮下組織の間にある組織)にも血管はかよっています。
体表に近い順に係蹄(けいてい)、乳頭下血管叢(にゅうとうかけっかんそう)、皮下血管叢(ひかけっかんそう)、とあみだくじのように走っており、この血管が広がると熱を放出します。
この時、からだの表面は紅潮し、血液の赤みが外からでもわかるのです。冬はその反対ですね。
火傷をした部位はこれら細かな血管も失ったので、夏が汗の気化熱、体表近くの血管叢での放熱、全部ダメになりました。
それから脂腺(皮脂腺のこと)もありません。冬は保湿が命です。
きわめつけにマスト細胞(肥満細胞ともいいますが肥満とは関係ありません)が傷痕にできます。
マスト細胞はヒスタミンというアレルギー物質を放出する迷惑野郎でして、とにかくかゆいです。何もしてもしなくても痒いです。
さいごに全身、火傷の痕、ケロイド(ケロイドと肥厚性瘢痕は似て非なるものです。詳細割愛)のような見た目です。ぱっと見、壮絶です。
これで人生や恋愛などをふいにしたかというと、そうでもないのですが後述します。
このように主に身体面でのデメリットが、やけど人生序盤にありました。
受傷が15歳の冬でしたので、当たり前ですが高校入試を諦めざるを得ませんでした。
1年間、高校浪人のような期間で熱傷再建術といって瘢痕拘縮の治療を5回、自分の皮膚を使い果たすまで手術入院をしました。
その後、通信制サポート校というところで高卒の資格は得ましたが、それはまた別な機会にお話しします。
15歳、重症熱傷を図る~ルポタージュ②~
ここからは経時的に熱傷の様子を振り返ります。
なるべく冗長にならないよう努めますが、どうぞお茶でも飲みながらのんびりお読みいただけると幸いです。
某年某所、1月3日。
とある地方の単科・精神科病院の中庭で上衣を脱ぎ、ライターオイルを浴びて着火。
そのときのことは今でも鮮明に想起できます。
人生で一番の激痛。熱さではなく痛み。とっさに地面を転げまわり、全身を覆う炎を消そうと試みる。叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、気管に炎が入っても、声帯が灼けても、叫ぶ。
ところが炎はオイルが切れるとすぐに燃え尽き、準夜さんの看護師さんが消火器で火を消したのも、燃えるジーンズだけだったと記憶しています。
どうやら病院の室内からも見える火柱状態だったようです。
ただし腰背部、ズボンの布ベルトのすぐ上のあたりはオイルがよく染みこみ、今でも腰のあたりは2cmほどえぐれています。
そのあたりの筋力は落ち、右の腰だけ腰痛になるといった後遺症もあります。
それに大体、この火傷は20年以上も前のことです。
当時のシステムや意識も今と比べてまだまだ甘く、15歳のわたしでも煙草もライターもオイルも簡単に入手できました。(もともと老け顔だったせいもありますが)
で、まあ、その、自棄になっていたのと、入院という人生初の体験が思いのほか暇だったので煙草を始めました。
その日は2ヶ月を予定していた入院も1か月ほど経過し、折り返し地点です。
翌日からは初めての外泊を控え、初めての入院も順調なように思えました。
ところがその晩、わたしはドナーカードを目立つところに置いて、中庭で重症熱傷を図りました。動機は不明ですが、そういった願望が強かったのか、不安定だったのでしょう。
何度も何度も思い出します。忘れることのない記憶です。
オイルを浴びた右前腕に火を点けると一気に炎が走り、一瞬で火は全身を包みました。
反射で拳闘家姿位(熱硬直を起こし胎児姿勢のようになること)を取り、しかしすぐに燃え尽きた炎を見て(あ、こりゃ痛かっただけだ……なんか、お騒がせしてすみません……)と思うも束の間、いつの間にか救急車に乗せられ、そのさなかから意識は途切れ途切れになってゆきました。
火達磨になる。ICUで20kg痩せる。~ルポタージュ③~
後から聞いた話です。
初めに、搬送された病院での診断名は「全身熱傷」
その病院のDr.からは「これはもはや熱傷の傷じゃない」とされ、なかなかにヤバい状態だったそうです。
そののち、熱傷ユニットを2基備えた最終後送病院で1週間に1回ペースで計4回の皮膚移植(植皮)、そこで初めて診断が「70%熱傷」と書き換わりました。
全身的にもですが、顔もかなり焼けたので炭化組織、壊死組織の切除(デブリードマン)を行ないました。その時の執刀医はこう話したそうです。
「息子さんのお顔、もっと良くして差し上げますから」
その意味するところは、「もう二度と元の顔には戻れませんが、いいですね?」
わたしは麻酔で眠らされているか、もしくはICU症候群のような様相で譫妄状態だったので(おまけに眼鏡もない)、自分の置かれている状況すらあまりよくわかっておらず、常にパニクっていました。失見当識というものでしょうか。
ほか、随伴症状、低タンパク血症(低アルブミン血症)によって血管内の水分やたんぱく質が血管外へ逃げ、どんどん体重も落ち、嘔吐もひどくシーツ交換した直後に吐いては何ともいえない空気になったり、幻視なのか夢なのかよくわからず、ほぼ常にプチ過呼吸(肺炎も併発していたので仕方もないけれど)
——と、まあ、よくも耐えたなと思っています。当時の状況を簡単に説明しますと、
- SaO₂(動脈血酸素飽和度。鼠経部の動脈から採血して測定する酸素飽和度。なおSpO₂は経皮的動脈血酸素飽和度で、指につけたクリップで爪の色で酸素飽和度を測定する)も80台(通常95~98程度)
- 体重も55kgが35kgへ
- 自分で寝返りも打てない
- 上体も自力では起こせない
- 抑制帯も四肢にかけられている(縛られている)
- 眼鏡もなければ飲み水もない(誤嚥性肺炎を防止するため。水分・電解質は輸液にて補正しているので経口摂取は必要ないとされる)
- 嘔吐もひどくなり、いよいよ低栄養となる
- 鎖骨のあたりの静脈から栄養を補給する中心静脈栄養法(IVH、これで生命としての栄養補給は完結する)も検討された
――とでもなりますか。
酸素マスクは薬品臭いし生活リズムは乱れるし、眼鏡もないし周りで何が起こっているのか把握できない。
囚われの身となった宇宙人も、こんな気分なのでしょうか。
何よりおいしいはちみつレモン~インターミッション①~
いかがでしたでしょうか。
そんないきなり『いかがでしたでしょうか』っていわれても困る方がほとんどだと思うので、『第一章の除幕となりました』といい直させていただきますね。
これからがすごいんです。多分。
これから始まる火傷人としての人生は、まだまだスタート地点に立ったばかり。
みなさまも同じように苦しみを乗り越え、痛みを耐えつつ生きてきたのだと推察します。
当時はとにかく喉が渇いて仕方がありませんでした。
歯みがきの水を飲む、バイブラバス(EMS装置のようにびびびびび、とお湯が震えて筋力低下を防ぐ特殊なお風呂ユニット)のお湯を飲む、もう飲めるものは何でも飲んでました。
そこへある看護師さんがストローで「はちみつレモンジュース」を飲ませてくれました。
あの時ほどはちみつレモンジュースが美味しかったことなんて、ついぞありませんでした。
だって、誤嚥性肺炎になるかもしれない。
でも歯みがきの水や風呂の湯を飲むようなやつです。
明日の命も定かではありません。
せめてもの情けとでもいいますか、バレたらあまりよろしくないのに、はちみつレモンを飲ませてくれた看護師さんには今も深く深く感謝しています。
さて、この記事はいったん幕です。
次の記事では重症熱傷で得たものという、自分で設定しておいて何じゃこりゃ、というテーマに沿ってお伝えできればと思います。
今回やや長い記事となりましたが、お読みいただきありがとうございました。
それまで、どうかお元気で。
▼参考▼
煙亜月
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