オッス! オラ八壁ゆかり! 「崖っぷちブルース」、通称「崖ブル」、いっちょやってみっか!
……と、空元気で始めてみましたが、いやはや、大変な事態になっていますね、新型コロナウイルス。
テレビを付ければほぼ四六時中コロナウイルス関連の報道、報道に次ぐ報道、今日は○○名の感染者が〜、ですとか、すでに○○人以上の死者が〜、ですとか。
といった感じの様相を呈していて、まあもともと私はテレビを見ませんし、夫が見たい時は「許可制」なのでいいのですが、実家でたまたまニュースを目にした時、かなり『食らって』しまいました。
つまり、メンタル面のダメージを。
そこで今回は、コロナウイルスで不安になってしまっている障害者のための「自己防衛のための情報の遮断」について、私の経験をベースにお話ししたいと思います。
なお、このトピックはなかなか深いモノでして、熟慮の結果、前後篇の二つにわたる感動の超大作と相成りました。
最後までお付き合いいただければ幸い哉。
お好きなところからお読みください
9.11の時に情緒不安定になった八壁のケース
プロフィールに書いてあると思いますが、私は一時期ニューヨークに住んでいました。
マンハッタンのワールド・トレード・センターに飛行機が突っ込んだ「同時多発テロ」、通称「9.11(英語では『ナイン・イレブン』と読むよ)」の時点で、すでに私のNY行きは決定しており、まだSNSがなかった当時、私はテレビにかぶりついて、自分の憧れの街での悲劇をひらすら見続けていました。
ジュリアーニ市長の言葉、ツインタワーが崩れ落ちる瞬間のあの映像、ブッシュ大統領の演説、『MISSING』と書かれた行方不明者を捜す無数の貼り紙……。
私は、今で言う「遠隔被災」のような状態だったと思います。
ある夜、ブッシュ大統領が緊急会見を行った時、同時通訳が間に合っておらず、しかし私はすでに英語を勉強し始めていたので聞き取れたことがありました。
と、涙ながらに思ったのを、今でも覚えています。
不安が増す報道ばかりで情報過多に
情緒不安定になった私はすぐに、当時の担当医からテレビを見ないよう注意され、ネットで情報を漁るのもストップがかかりました。当然の指示です。
「情報過多」で、私は自分でも自分がダメージを受けていることに無自覚のまま、それでも最新情報を追い続けていましたから、無意識に酷く傷ついていたと思います。
母の言葉を覚えています。
「確かに大変なことだけど、今のあんたの生活には微塵も影響はないでしょ」
それもまた、至極当然の事実でした。
情報のすべてを鵜呑みにすると不安になってしまう
高校を卒業した私は、すぐさまNYに飛びました。
まず驚いたのは、大抵のニューヨーカーが9.11についてカジュアルに話していたことでした。
「ミッドタウンからブルックリンまで歩いて帰ったから疲れたよ〜」
「俺はアップタウンに住んでるからツインタワーが崩れたとか知らなくて、LAの友人から『大丈夫か?!』って電話がかかってきても『何が?』とか言っちゃってさ」
ノリ軽くね?
いや、事実ノリ軽っ!!
そして、私が徐々に暮らしに慣れてきた頃、同時多発テロから一年が経ち、9月11日が訪れました。
学校が休みだったので、友達とマンハッタンで遊ぶ約束をしていました。
朝、テレビをつけてみると、どこのチャンネルもグラウンド・ゼロからの中継。
ジュリアーニ元市長、後任のブルームバーグ市長、パタキ州知事等々がスピーチをし、黙祷し、続いて犠牲者の名前が読み上げられ始めた頃、私は家を出てサブウェイでマンハッタンに向かいました。
ユニオンスクエアという駅で降りて地上に出ると驚きました。
普段はヒマ人や待ち合わせの人々が座り込んでいる階段には近隣の小学校で子供たちが描いたと思われる9.11関連のイラストが張り出され、カウンセリングブースが用意され、ビニールの星条旗が5ドルで売られていました。また、FOXチャンネルのロケ車が中継の準備をしていました。
ここだけ切り取って見れば、完璧に「9.11追悼の図」です。
報道されていない部分を見てしまった
しかし、私の眼にはカメラが写さない部分も当然目に入ります。ドッグランはいつも通り騒がしく、ベンチではカップルがいちゃついたり学生たちが勉強していたり、まったくもっていつも通りでした。
風の強い日でした。
友人と合流し、今後はワシントンスクエアパークという広めの公園に行きました。
こちらでも、軍人の方々が厳かな面持ちで整列し、壇上に勲章をたくさん付けた男性がスピーチを行っていましたが、強風のためマイクは音飛びしまくっていましたし、その脇ではこれまたいつも通りご老人達がチェスに興じ、哀れな星条旗は千切れて空を舞っていました。
もちろん、カメラはそれらを捉えません。
何より驚いたのは、「9.11メモリアルセール」です。
小さな画廊も、大きいデパートも、メモリアルセールを催しており、人々は普通に買い物をしていました。
もはや商魂たくましいと言うのすらビビるようなメンタリティだぜニューヨーカー。
私といえば、友人とイーストビレッジ辺りをうろつき、サブウェイ(地下鉄)がなかなか来ないことを愚痴り合い(NYのサブウェイに時刻表など存在しない)、夜、自宅に帰宅しました。
何気なくテレビを付けると、やはりどの局も9.11トリビュート関連で、ここではこんな追悼イベントが行われ……こちらの場所では○○人が追悼に訪れ……とか何とか、とにかく追悼追悼追悼報道の嵐。
なんか違くね?
私は強烈な違和感を覚えると同時に、
と、メディアの恐ろしさを痛感しました。
障害者のための情報遮断辺は後編に続くよ
今は、毎日のように新型コロナウイルスの報道が飛び交っており、「本当に大丈夫なのか?」と不安になってしまう方も多いでしょう。
特に障害者やメンタルが病んでいる方にとっては、情報過多にもなってしまい情緒不安定に陥りやすくなってしまいます。
というわけで、長々と昔話をしてしまいましたが、案外日本では知られてないことかなと思いますので、レアネタってことでご了承ください。
そしてもちろん、この昔話は後篇への布石です。
次は3.11=東日本大震災での私の体験談。そして今この瞬間の報道やネット・SNSでの情報の錯綜と、それらとどう折り合いを付けていくかをお話ししたい所存、どうか後篇もお楽しみに!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
連載シリーズ:八壁ゆかりの崖っぷちブルース