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絵本が紡ぐ、共生社会への想い|絵本作家・由美村嬉々(木村美幸)先生インタビュー前編

カラフルな本が横一列に並ぶイラストを背景に、中央にタイトル「絵本が紡ぐ、共生社会への想い ――」と書かれている。 その下に「絵本作家・由美村嬉々(木村美幸)先生インタビュー 前編」と記され、温かみのある絵本特集のアイキャッチ画像となっている。

障害や貧困といった社会課題を「絵本」で子どもたちに届ける作家・由美村嬉々先生。

 

フレーベル館で40年、「アンパンマン」等の編集に携わった先生が、なぜ福祉をテーマにした絵本を描くのか。その原点に迫ります。

由美村嬉々(木村美幸)プロフィール

1959年三重県生まれ。絵本作家・編集者・絵本カタリスト®JPIC読書アドバイザー。

 

(株)桐原書店、(株)朝日新聞社を経て、(株)フレーベル館へ入社。

児童書・保育図書の編集に40年近くかかわり、出版事業本部長・取締役を歴任。

 

2022年、一般社団法人チャイルドロアクリエイトを設立し、代表理事に就任。

 

絵本作家として『バスが来ましたよ』(アリス館)、『四角い空のむこうへ』(晶文社)、『ぼくたちのことをわすれないで』(佼成出版社)、『ぼくはぽんこつじはんき』(あさ出版)、『にじいろのペンダント』(大月書店)、『おばあちゃんのあおいバラ』(ポプラ社)など、実話に基づいた社会派絵本を多数発表。

 

『バスが来ましたよ』は目の不自由な男性と小学生たちの交流を描き、大きな反響を呼んだ。

 

 

「親子で読んでほしい絵本大賞」第2位、「未来屋えほん大賞」第2位を受賞。

小学校低学年読書感想文・感想画コンクール推薦図書(長崎県・千葉県・長野県・静岡県他)、筑後市立図書館絵本大賞に選出。

 

『四角い空のむこうへ』は、日本児童ペンクラブ絵本賞を受賞。

 

木村美幸名義では、『これだけは読んでおきたい すてきな絵本100』『発達段階×絵本』(風鳴舎)、『一冊の絵本』(径書房)、『100歳で夢を叶える』(晶文社)、『絵本で実践!アニマシオン』(北大路書房)など、絵本評論・教育書・エッセイも執筆。

 

現在は「絵本カタリスト®養成講座」を主宰し、全国で講演・セミナー活動を展開。絵本を通じて子どもたちの感性と創造力を育み、より良い共生社会の実現を目指している。元東京家政大学特任講師、絵本学会会員。

 

木村美幸先生の3つの夢を叶えた人生

——まず、木村先生の自己紹介をお願いいたします。

 

——木村先生(以下敬称略)

私の前職は、フレーベル館という出版社でした。保育と出版を手がける会社で、100年以上の歴史を持つ老舗です。そこで30数年間、編集一筋で働いてきました。

 

ただ、その前にも経歴がありまして、大学卒業後、新聞社で記者をしたり、出版版元で一般書の編集に携わったり、フリーで女性誌の記者をしたりしておりました。新聞社においては、医学記事などを担当していましたが、結婚することになり、夫とドイツへ渡ることになりました。1年半ほどドイツで暮らしながら、国際的な勉強もしていました。

 

帰国後、やはり編集の道を進みたいと思い、(株)フレーベル館に入社し、その後は30数年間ひたすら、編集に携わってきました。

 

フレーベル館は児童書の会社ですので、それまで門外漢だった児童書の世界にのめり込み、編集長を務めさせていただきました。その中で、私の人生に決定的な影響をもたらしたのが、「アンパンマン」でした。

 

「アンパンマン」や「ウォーリーをさがせ」といった大ヒットシリーズ商品の担当役員を務めることになり、重責を担うことになりました。その間、あらゆる書物を読み、保育の勉強もして、「キンダーブック」という、やがて創刊100年を迎える園向けの保育雑誌の編集長もやらせていただきました。

 

絵本のことを隅々まで勉強できたのですが、一番良かったのは、「キンダーブック」を通じて保育向け出版と市販の出版が重なり合ってきたことです。その中で様々な作家さんや絵描きさん、保育園の先生方と知り合い、保育や育児のあり方についても教わりました。全国各地で講演会をさせていただく機会もいただきました。

 

当初は園向けの保育雑誌「キンダーブック」が子どもたちにとっていかに良い雑誌かという話をしていたのですが、やはり絵本そのものの持つ本質的な力、魅力というものに私自身が目覚めていき、学びながら講演活動をするようになっていきました。

 

その後、市販向けの書籍、つまり普通に本屋さんで売っている本の部署にて、編集・制作にかかわり、両方を手がけることになりました。

 

50歳になった頃、役員になり、その後12年ほど取締役を務めさせていただいたのですが、やはり小学校2年生の時に抱いた夢——新聞記者、編集者、そして作家になりたいという三つの夢のうち、三つ目がまだ叶えられていないことを意識し始め、チャレンジをしたいという気持ちになっていきました。

 

自らの第二、第三の人生において、「自分で企画して自分で書くということをやりたいと強く思うようになっていったのです。それで一念発起して会社を起こし、執筆活動と、得意なセミナー活動を生業にしようと考えました。

 

セミナーやコンサルティング、編集、ライターの仕事…等、立体的に展開できる会社を作りたいと思い、「チャイルドロアクリエイトⓇ」という会社を立ち上げました。

 

——小学校2年生の時からの3つの夢「新聞記者、編集者、作家」を全て叶えられたのですね。

 

木村美幸先生が心に残った言葉

——木村

まだまだ道半ばですが、とりあえず3つめの夢を叶えるところまできたので、これからはそれらを深掘りして、しっかりと後世に残る形にしていきたいと思っています。もう20年も前に詩人の故谷川俊太郎先生に「そんなに創作意欲があるなら、あなたが書けばいいじゃない」って言われたんです。

 

当時は「そんなの無理に決まっているじゃないですか」って言っていたのですが、彼が「人間に不可能なことなんかないよ」って言ってくださって、すごく嬉しかったですね。「やれるかも」って思いました。

 

——絵本作家を目指されたのは、やはり前職での経験が大きく影響しているのでしょうか。

 

——木村

もちろんです。

 

フレーベル館という前職の会社での経験のおかげ、フレーベル館には本当に感謝しています。そこで、様々な体験をさせていただいたおかげで、企画を立てる際のポイント、視点というものが常に自分の中で生まれ、育まれるようになっていきました。

 

世間をしっかりと見る目、子どもたちの未来を見据える姿勢、そういったものが総合的に身体に染みついていったのだと思います。そうして、30年、40年とインプットを続けてきたおかげで、自分のフィルターを通して世の中に発信できるものが構築されていったように感じます。

 

ジュン
小学校2年生で抱いた三つの夢を、一つひとつ着実に叶えてきた木村先生。谷川俊太郎先生の「人間に不可能なことなんかないよ」という言葉が、まさに先生の人生を体現しているように感じました。

 

40年のインプットがあったからこそ、今アウトプットできる。その言葉に、焦らず積み重ねることの大切さを教えていただいた気がします。

 

絵本の力で社会問題を自分事にする

——絵本にも様々なジャンルがありますが、特に児童福祉に関わるテーマを選ばれているのには理由があるのでしょうか。

 

——木村

福祉関係だけを取り上げているわけではないのですが、自分の執筆活動の芯となるものが欲しかったのは事実ですね。

 

世の中の様々な社会問題を自分事にするというのが私のモットーでして、少子高齢化の問題、環境問題、人権問題、貧困の問題、医療的ケア児など障害者支援の問題、難民問題…など、そういったものが常に自分の中にありました。

 

世の中の社会問題をいったん自分事として受け止め、自分の言葉で考え方を発信していく。小さな子どもたちにも伝わる言葉で彼らにも届けられる方法があるのではないかと考えたんです。

 

絵本という形にして発信すると、絵を見て、子どもたちは何かを感じます。そして文章を読めるようになったら、母親や先生方といった大人と一緒にその問題を考えていく。

 

そういった機会を創出したいと思ったので、絵本の力で、絵本という媒体で伝えていこうと決めました。

 

——絵本は情景も浮かびますし、文章も優しいので、すっと心に入ってくる感覚がありますね。

 

——木村

そうですね。絵本の効用については、経験値として、本当に1時間でも2時間でも話せるくらいあります。

 

絵本だからこそ伝えられること

——そのために選ばれた「絵本という表現方法の魅力は、何だとお考えですか。

 

——木村

数え切れないほどありますが、絵本の一番の魅力はやはり想像力の賜物だということです。

 

イマジネーション(想像)とクリエーション(創造)、どちらもできる。よく有識者も言われていることですが、絵と文があるだけでは絵本にはならないんです。

 

絵と文があって、そこにもう一つ、読者の想像が加わって初めて絵本になると思うのです。どんなに良い絵本でも、そこから発せられているメッセージを受け取る側の想像がなかったら、読者にとって、その絵本は、ただの絵と文になってしまいます。

 

だからこそ、絵本として完成させるために、想像しやすいように、読み手が感動できるように、共感できるようにということをすごく考えて、一冊一冊本を作っています。

 

ジュン
「絵と文があって、そこにもう一つ、読者の想像が加わって初めて絵本になる」。

 

この言葉が、木村先生の絵本づくりの本質を表しているように思います。そこを考えながらあらためて読んでいきたいですね。

 

実体験が生む物語の力を絵本で伝える

——本当に活動の幅が広く、取材などの活動量もすごいですね。

 

——木村

ほとんど寝る時間がないですね。全国あらゆる場所に取材に行っていまして、例えば『バスが来ましたよ』は和歌山県の話ですし、最新作の『おばあちゃんの青いバラ』は岐阜県、『ぼくはぽんこつじはんき』は秋田県の話です。

 

全国津々浦々にある本当に良い話を皆さんに届けたくて、新聞にたった56行書かれていたことでも、私の琴線に触れてビビッとくると、すぐに連絡をして取材に行っています。そこはもう記者魂ですね。

 

——今の時代、何でもネットで情報を得る方が多いと思いますが、やはり実際にその場を訪れて生の話を聞くことが大切だとお考えですか。

 

——木村

そう思いますね。私の場合、新聞に書かれていることやテレビやネットを観たとしても、やはり実際に自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、匂いを嗅いで…しながら、自分の心に落とさないと感動にはならないんです。それを生の形でリアルに、自分の表現方法で伝えたくて絵本にしています。

 

例えば『ぼくたちのことをわすれないで ロヒンギャの男の子 ハールンのものがたり』も、実際に現地には行けませんよね。なかなか行けないけれども、今ミャンマーがどういう状態かというのは、国際記事を読めばわかります。

 

ミャンマーで迫害を受けるイスラム教徒少数民族ロヒンギャに思いを馳せ、日本でロヒンギャコミュニティーのある群馬県館林市に通い、実際にロヒンギャ民族である彼らに話を聞き、取材を進めていきました。ロヒンギャ難民となった罪のない子どもたちが難民キャンプで懸命に生きていること、そこに学校を開いて支援を続けている人が居ること、そうした様々な現実に焦点を当てたいと思いました。

 

日本に政治的な動きもたくさんあることは知っていますが、今子どもたちが理解できる範囲できちんと解説も入れて、難民とは一体何なのだろう、なぜこんな迫害された民族があるのだろう、そういったことを分かりやすく社会の教科書のように説明しながら、絵本では心で感じてほしいと願っています。

 

ミャンマー以外にも、世界じゅうの戦禍を受けている子どもたちがどういう状況下で日々生きているかに思いを馳せること、もしかしたら自分も、自分の子どももミャンマーでロヒンギャという民族として生まれて、迫害されていたかもしれない。

 

そういったことが私にはビンビン来るんです。いかに日本人の子どもたちが幸せなのか、その日一日をいかに大切に生きていかなければいけないのか、自分にできることはないのか…ということを真剣に考えてほしいと思っています。

 

木村美幸先生が実際に現地に行く理由

——情報で知ることと実際に会ってみることでは、印象の違いはありましたか。

 

——木村

会ってみて、さらに感動することが多かったです。やはり自分の知っている範囲で、作品を作る時には8割方こんな感じのものを作ろうと考えて取材に行くのですが、見事に良い方向に期待を裏切られることが多いですね。

 

実際にお会いすると、記事や本に書かれていたこと、テレビやネットで観たことよりずっとすごいことが発見できて、「ああ、そういう思いでこうやって生きてきたんだ」と合点したり…。社会福祉関係の方に会わせていただくと特にそう感じます。本当に明るいのです。

 

たとえば、目が見えなくなったのに、なぜそんなに悲壮的にならずに前向きに生きていけるのだろう…と考えます。例えば柔道の山下泰裕さんも、事故で大変な状態になられましたが、「こうなってよかった、こうなって見えたこともあるんだよ」という前向きな姿勢を取られていますよね。

 

そんなふうに、本当に大変な思いをされているのに、非常に明るく前向きに取材に応じてくださることが多かったですね。『四角い空のむこうへ』の主人公も、「ミオパチー」という病気で、首から下が動かないのに、私が行くといつもニコニコと「木村先生、また来たの?」と迎えてくださる。希望が湧いてきますよね。

 

ですから、一冊一冊の本に込めた思いは、彼らと同じ目線で同じ気持ちになって、前向きに生きる方向を探っていくということなんです。

 

——木村先生の作品にすごく感動したのは、絵本というのは基本的に想像、イメージのものですが、実体験があるということです。

 

——木村

そうですか。

 

——その実体験がしっかりあるからこそ、これが現実の世界のことなんだと認識できる。それがやはり大きいと思います。

 

——木村

裏打ちされているので、必ずその人に会って取材をして確かめます。その人に会うともう感動しきりなんです。

 

こんなに大変な状況なのに、なぜここまで前向きに積極的に生きていけるんだろう…ということを私が教わって学ばせてもらっている感じですね。だからどんどん自分の知識や経験の層も厚くなっていくし、それでまた次の第二、第三の作品が生み出せるのではないかと思います。

 

ジュン
新聞の5、6行の記事から全国へ飛び、当事者に会いに行く。その行動力に圧倒されました。

 

「私が教わっている」と語る先生の謙虚な姿勢が、作品に深みを与えているのだと感じます。ネットで簡単に情報が手に入る時代だからこそ、「実際に会う」ことの価値を改めて考えさせられました。

 

インタビュー前編を終えて

絵本作家としての道を選んだ木村先生の言葉には、40年以上にわたる編集者としての経験と、自らの病いとの闘いから得た「命への感謝」が滲み出ていました。

 

「世の中の社会問題を自分事にする」。その信念のもと、新聞の数行の記事から全国各地へ飛び、当事者と向き合う姿勢は、まさに記者魂そのもの。取材先で出会う人々の明るさと前向きさに触れ、「私が教わっている」と語る謙虚な姿勢が印象的でした。

 

100歳までに100冊の本を書く」という夢を掲げ、今日も全国を駆け巡る木村先生。

 

後編では、作品に込められた深い仕掛けと、絵本が持つ無限の可能性、そして次世代へ託す思いについて伺います。

 

絵本が紡ぐ、共生社会への想い|絵本作家・由美村嬉々(木村美幸)先生インタビュー後編

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久田 淳吾

発達障害(ADHD・ASD)と吃音を抱える40代男性。今まで発達障害の事は知らずに生きてきたが、友人の話を聞いて自分にも当てはまる事が多すぎる事を実感し、病院にて診断を受けると見事に発達障害との認定を受ける。自分に何ができるかと考えた時、趣味の写真でプロの先生に話を聞く機会があり、吃音が強く出ていたことに気がついた先生が『君は吃音持ちだね。だったら吃音の方の気持ちがわかるはず。それを活かして吃音の方の気持ちがわかるカメラマンになったらどうか』という言葉を思い出し、発達障害者として同じ気持ち、舞台に立てる人間として趣味のカメラ、動画編集技術を活かして情報発信をする事を決意。
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