「病気が一番辛かった時期の記憶はあまりなくて。人間の体ってうまくできてますよね。」
明るく笑いながらこう話してくれたのは、村山久美さん。
日の光が射しこむ冬のファミリーレストラン。花をかたどった大きなボタンがついたブルーのカーディガンにスキニーデニム、高い身長にゆるく巻いたロングヘアが似合います。
彼女は、都内私立短期大学幼児教育専攻の非常勤講師として働きながら、首都圏で幼児教育の講演なども行っている女性です。
村山さんは、現在地域の子育て支援グループを立ち上げNPO法人化を目指しています。中学1年生の男の子の母親でもあります。そんな彼女が耳慣れない病気を患っていることは一見すると分かりません。
彼女が患っている病気の名前は「脳脊髄液減少症」といいます。2021年現在、指定難病には認められていない病気です。
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脳脊髄液減少症とは
この病気の研究において第一人者と言われる篠永正道医師(国際医療福祉大学熱海病院)の著書『脳脊髄液減少症を知っていますか』(2013年)によると、「頭痛、頚部痛、めまい、吐き気、だるさなど多彩な症状が持続する。」とあります。
村山さんの場合は、吐き気を伴うひどい頭痛が主な症状でした。一度痛み出すと水分も取れなくなるほどだったと言います。
「私が医師から説明されたのは、豆腐の例えです。パック入りの豆腐は水に浮いているような状態。豆腐が脳だとして水が脊髄液です。水が抜けてしまうことによって、パックに豆腐が当たる、それが痛みになります。」
まだ研究中の脳脊髄液減少症
多い事例としては、むち打ちなどの外傷を負ったことをきっかけに脳脊髄液が漏れ出すようになり、少し間をおいて頭痛をはじめとした様々な症状が出るといいます。
ですがまだ研究中の病気で、どうして脊髄液が漏れるのかも含めて議論があるようです。
書籍によると、
「適切に診療できる医療機関がまだ極端に少ない。」
「病名を知らない医師も少なくない。」
といった課題が指摘されています。
また、横になっている方が脊髄液のもれを抑えられるため、症状が楽になることが多く、座ったり立ったりしていると症状が出やすいといいます。そうした様子から誤解を受けることも多いのだと村山さんも医師から言われたそうです。
更に症状が原因で仕事を減らさざるを得なかったり、指定難病ではないために保険適用や医療費助成の対象外で治療費が高額になることも大きな課題です。
脳脊髄液減少症の事例 村山さんの場合
子どもを出産した日から症状が出始めた村山さんが、どのような生活をされてきたのかをお聞きしました。
頭痛と闘いながら始まった育児
「帝王切開の硬膜下麻酔がきっかけだろうと医師からは言われています。 麻酔の針を腰のあたりに刺して長時間過ごすのですが、そのときの針の刺し方で硬膜に穴が開いてしまったんだろうと。」
出産したその日から頭痛に悩まされ、頭痛と闘いながら初めての新生児育児がスタートしました。そのころは授乳に影響のない鎮痛剤を処方してもらい乗り切っていました。
「育児に実の母の他界が重なって、心労かなと思ってしまったんです。」
そして子どもが2歳の頃、痛みが悪化して救急車で運ばれる事態となってしまいます。ほどなくして脳脊髄液減少症の診断が出ました。
そのころには硬膜の傷は広がってしまい、「ブラッドパッチ」と呼ばれる自己血で傷口をふさぐ代表的な治療法も効果がない状態だと担当の医師から言われたそうです。
彼女は、その時期から数年の記憶はあいまいだと話します。
また、脳脊髄液減少症をきっかけに神経系に影響が出たために、全身に激しい痛みが起こる線維筋痛症の併発もありました。モルヒネなどの強い鎮痛剤を使用するしか手だてがない状態が数年間続きました。
体内に機械を入れる手術
その後、線維筋痛症からくる脚の痛みを緩和するために、脳深部刺激療法という体内に電流を流す機械を入れる手術をしました。
電気を流すことで神経に働きかけて様々な症状の改善をする手法だそうです。調べたところ、パーキンソン病の治療などに使われる方法だそうです。
痛みはかなり改善し、村山さんは手術の数年後には今の幼児教育の講師の仕事を始めました。
ただ、電池式の機械なので一度入れたら終わりというわけではないそうです。そろそろ8年経つので今年中に入れ替えの手術をしなければならないといいます。
「その手術、絶対しなきゃダメですか?と、ついお医者さんに聞いてしまいました。絶対しなきゃダメ!と叱られました。やっぱり手術や入院は嫌なんですよね。」
また、痛みが完全に無くなったわけではないので、鎮痛剤の服用も続いています。
辛い病気にかかったからこそ
病気にかかったことは、村山さんの心境にも影響を与えました。
やりたかったことに一歩踏み出すきっかけになったそうです。
後悔しないように生きたい
「後悔をしたくないと思うようになりました。」長い投薬生活のせいなのか、彼女は現在も体調を崩すことがあるそうです。昨年も長く調子が悪い時期がありました。そのときに「ああ、もうこれは“いよいよ”かも。」と思ったといいます。
そして、「死ぬときに、ああ、あれをやってなかった!と思いたくない。」と強く感じたそうです。それは彼女にとっては地域の子育て支援でした。
村山さんの母親は村山さんが子どもを産んですぐに他界しました。
同じ保育士で、そのころ福祉作業所をご自身の保育園に併設して作ろうとしていました。村山さんは、母親がその夢を実現する準備を進めていた段階で他界したことを「悔やんでも悔やみきれなかったと思う」と話します。
また、彼女は結婚後、出産直前までは週末通い婚でした。出産を機に現在住んでいる地域で暮らすようになりましたが、当初は銀行やスーパーの場所も詳しくはわからない状態でした。一気に世界が狭くなったといいます。
「地域で一人で心細く子育てをしている母親が他にもたくさんいるに違いない。」保育士として働いていたときの経験からもそう感じたそうです。
地域の長屋制度復活をめざして
彼女は昨年、地域子育て支援グループ「いちごmama」を始めました。近々NPO法人化しようと準備を進めています。賛同してくれる仲間も集まりつつあります。
「自分が出産した十数年前と比べても、働く女性はさらに増えて近所の公園も以前よりも人が少ないことが気になりました。地域で助け合える仲間を見つけられない母親もたくさんいるのではないか、と考えました。」
昔の「長屋」のように、ちょっと困ったときや用事があるとき、子どもを預けたり買い物を頼めたりする顔見知りの仲間を作っていくことが大きな狙いです。
今は季節のイベントなどを行いながら、母親同士の顔見知りを増やせる機会を提供しています。
母親でもあり幼児教育の研究者でもある彼女は「これをできるのは私だ、と勝手に自分を買いかぶっているんです。」と明るく笑いながら話してくれました。
いちごmama ブログ
https://ichigomama93.amebaownd.com/
参考
『脳脊髄液減少症を知っていますか』篠永正道 2013年東京出版
岡山大学病院脳神経外科 サイト(脳深部刺激療法について)
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