私は、30代になってから発達障がい(アスペルガー)だと診断を受け、2次的障がいで適応障がいも診断されてます。
幼少期は、そんなことがわからなかったのもあり、ずっと生きづらさを抱えながら過ごしてました。
今、私が活動している「新聞ちぎり絵」と出逢い、居場所づくりをするようになってから、私の人生は本当にいい方向へ変わっていきました。
(もちろん意識していないと、そのキッカケも見逃してしまいますが)
今回は、発達障がいの生きづらさを居場所づくりで改善したエピソード1として、『私が新聞ちぎり絵と出逢うまで~障がい児と保護者、兄弟との出逢い~』をお届けします。
そのキッカケが何かはわかりませんが、発達障がいで生きづらさを抱えながら過ごしていた私のエピソードからヒントを得て、アンテナを立てながら人生が変わるキッカケを掴んでいただければ幸いです。
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発達障がいで生きづらさを抱えながら過ごしていた毎日
私が発達障がいのアスペルガーで、その2次障害で適応障がいがあることがわかったのは、大人になってからですが、幼少時代から生きづらさを感じて過ごしていました。
もしこれを読んでいるあなたも生きづらさを抱えて悩んでいたら、こちらの記事でメッセージを綴らせていただいてますので、ご覧になっていただければ幸いです。
アスペルガーということは、30代になるまでわからなかったので、地元の短大を卒業後、障がい児の学童保育で働きました。
そこでも発達障がいの特性が出てしまっていたので、生きづらさを感じていましたが、今の居場所づくりを作るようになったキッカケのヒントがあったのです。
居場所づくりをするキッカケのヒント
当時は今程、学童保育や居宅支援事業などはあまり整備されていませんでした。
学童保育の保護者さんとお話ししていた時に、
- 学校が終わってから過ごせる場所が欲しい
- 兄弟と同じ習い事をさせたいと思っても断られてしまう
といった現状もあると、保護者の生の声を聞きました。
おそらく受け入れる側が障がいに対して理解ができなかったり、不安があったりしたからでしょう。
そして、この障がいある子供に対して、
- 付きっきりになって他の生徒のことが見られなくなってしまうのかもしれない
- 何かあった場合に責任が取れない
など、受け入れる側の背景があるのかもしれないのではないか?
と話を聞いて、私はそう感じました。
障がいや生きづらさを抱える人たちが過ごしやすい場所とは
本来、余暇活動や習い事など誰もが保障されるものです。
障がい者の教室というものもありますが、私は障がいがある人もない人も一緒に学べる環境が当たり前になることが必要だと感じました。
私の通っていた学校には障がいのある人もいました。
でも、自然に障がいを障がいと思わずに受け入れられる場がありました。
このような環境を周囲の大人が提供することが大切なのだと思います。
そう私は決意をしたのです。
実際に居場所を作っていくことに
そして、20代で適応障がいと診断をされた私は職場を離れ、障がい児と保護者さん、兄弟、ボランティアの方々が集まっている団体と繋がっていきました。
出逢った保護者さんからも学童保育で関わっていた保護者さんと同じ悩みを持っていました。
『今は親がいるけれど、親なき後どうしたら良いのか?』などという切実な勉強会にも参加させてもらいました。
この時、改めて人との繋がりを作っていくこと。そして、困った時に『助けて』と言える関係性の繋がりを作っていくことがこれからより必要になっていくと感じました。
保護者さんの生の声を改めて聞き、居場所作りをしていきました。
場所をお借りして、
- はり絵をしたり
- ちぎり絵をやったり
- 折り紙をやったり
- 書道をやったり
- 卓球をしたり
- カラオケをやったり
本当に自由に過ごしていい場にしていくと、段々とコミュニティができてきたのです。
『自分らしくいられる場』・『楽しんでもらうこと』を意識して、居場所作りをしていました。
この出逢いが、私の人生の原点になっています。
これが発達障がいの生きづらさを居場所づくりで改善したエピソード1
『私が新聞ちぎり絵と出逢うまで~障がい児と保護者、兄弟との出逢い~』です。
【シリーズ】
発達障がい(アスペルガー)・適応障がい当事者としての生きづらさを克服してきたストーリー
舘野智子
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